2012年05月21日

金環日食

何かが始まる前、そして、それが行われている最中というのは、それが特に大自然の場合、独特なエネルギーの饗宴というものが行われているのを感じる。


今日の金環日食。始まる前の雲の動きに心を奪われ、そして、始まれば、金の輪が出来ていくその美しい流れに同化する。


金環日食


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2012年05月17日

浄化の時

久しぶりにパソコンで検索していた。霊山について。
ひょんなことから、霊山寺というのを知る。そして、いつか見たタクシーのことを思い出した。霊山と書かれたタクシー。バラの花の絵が描かれていた。しかも、そのタクシーには華奢で美形の青年が乗っていた。まるで、小説の一コマのよう。

そこから、そどのようにネット検索が流れていったのか、とんでもないものを見つけてしまった。なんと、撮影禁止である三輪山内の写真を何枚も撮って、ブログにアップしている不届き者がいたのである。
しかも、何様のつもりか知れないが、訪れる地、訪れる地、降臨したと書いて・・・・。

聖域に対して礼節を持つことの出来ぬ若者が増えている。にもかかわらず、パワーを充電したとか言い。
あまりの身勝手さに、ただただ驚くばかり。

あの時、三輪山の木は泣いていた。初めて聞く悲しげな泣き声。不届き者が聖地を穢し、聖地は衰弱していく。

守らねばならない。
守らねばならない。
穢す者が居るなら、その穢れを浄化しなければならない。

聖域を守ること。
その大切さ。
龍の体。
傷だらけの日本。
聖域は龍体のチャクラのようなもの。

穢す者が居るなら、浄化しなければならない。
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2012年05月11日

聖地へ向かって

新築マンションを購入して、たったの10数年で売却。そして、新たに中古の戸建てを購入。

まだ、新地へ来て一週間ほどしか経っていないが、なぜか、私を取り巻くものががらりと変わった感じがする。外に出て接する人々の態度が特に顕著にそれを表している。
私自身が変わったわけではないが、礼儀正しい対応が多く、また、好意的でもある。

かつてのところを去るとき、何も未練はなかった。哀愁を感じることもなく、やっと脱出できることに心は軽かった。迷い込んだ不可思議な時空。

そういえば、引っ越しの数日前、隣人が玄関先にカエルの置物を置いた。それを見て、私は、もう二度とここへは帰ることはないけれどなと思った。

最後になって、管理人とも親しく話すようになった。そんな管理人も言った。「ここは、変なところだ。普通では有り得ないことが多い。」と。

引っ越しの当日。マンションへ越してきてそれほど経ってない住人の幼い子どもが、車で出て行く私たちに向かって、笑顔でバイバイと手を振ってきたのも印象的だった。




迷い込んだ不可思議な空間からの脱出。金銭的な損失は大きかったが、私には見える。確実に聖地に向かって歩いていることを。輝くイスラエルの石。イスラエルの山は、やわらかく爽やかな光に包まれてる。
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2012年03月20日

動く時は動くもの

三月八日以来、忙殺される日々が続いている。もう一ヶ月ぐらい経ったような感覚だが、まだ2週間か。
すべてがとんとん拍子に進んでいる。まるで、ミラクルとしか言いようのない展開。あまりにも絵に描いたように事が運ぶと、やはり、これはもう自分の力だけではないことを思う。

霊界が動いてくれている。
そう、感じざるを得ない。

新天地には、白い花を咲かせる牡丹、金木犀、レモンの木、もちの木、椿、百日紅、つつじ、マサキ、檜など幾種類もの木がある。
どうやら、知らぬ間に植物の生命を保つことも受け継いだようだ。

ずいぶん前に、母に言われたことがあった。
「家は人を造る」と。
卵が先か鶏が先かの論議となるだろうが、まあ、どちらにせよ一本の線で繋がっていることは確か。

独身時代には簡単に出来たことでも、結婚して家庭を持つと容易くできない。簡単どころか、とても難しくなる。
たとえ、チャンスを引き寄せる事ができたと思っても、そこには様々な障害が立ちはだかったりなどして不可能となったりする。
訪れたチャンスをものにするには、自分の徹底した意志と祈りと決断と、そして霊界の力。霊界に味方してもらうには、供犠が必要不可欠。

まだまだ忙殺される日々は暫く続く。目下のやらねばならないことは、エキスパートにするか小規模でも職人気質を選ぶかだが、非常に時間が限られている為、私の選択は重要となってくる。
天秤にかけるということは嫌いだが、選択にはこれまた必要不可欠な仕事。

いろいろと大変だが、新しい経験というのは楽しくもある。また、一段一段、階段を上っていくという作業の大切さを、今になって知った。

PS:
今日、出かけたとき、椿の花があちらこちらに咲いている姿を見た。
私は、思った。きっと、三輪山の椿も、今頃、咲き誇っているのだろうなと。
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2012年03月09日

太陽と月と地球〜転換期

昨日3月8日に、私の運命を大きく変えるであろう決定事項がもたらされた。希望の転換期とでも言おうか、自分の望むものがもたらされる。

しかし、そこに至るまでには長かった。ずっと願い続けてきたこと。そして、ここ一ヶ月は祈りのための時間も増えていた。
また、自分の感覚を研ぎ澄ませていられるように努めていた。余計な穢れを身の内に入れぬようにと平静の中に身を置いてもいた。

そして、御神霊や霊人、御眷属とは、このように働かれるのかということを身をもって知ることが出来たのである。

例を挙げるのなら、何かが欲しいと望んでいるとする。霊人達はダイレクトに欲しいものを与えはしない。しかし、それを手に入れるために、その本人が手助けに値するだけの努力をし、人間になれば、そのものを得るための過程において、絶妙ともいえるタイミングでアクションを起こしてくれる。しかし、アクションを起こしてくれても、そこでどう選択するかは本人次第。

今回、私は御神霊や霊人達を信じきっていた。だからこそ、感覚を研ぎ澄ませておく必要があった。今度こそ失敗は許されないし、失敗したくないから。

この決定事項がもたらされる二日前に夢を見た。文章で言えば、ほんの一文節だけの感じで、まさにダイレクトそのものの夢。
そして、私は確信した。望むとおりになると。
また、いつも、ひつじさんに夢を解釈していただいているが、この夢はあまりにもダイレクトの正夢となるものだったので、あえて見ていただかなくても大丈夫だろうとも思った。

そして8日の朝、かなり久しぶりに例の鳥が現れた。まっすぐ力強く真南へ飛んでいった。
そこでも確信した。今日、良い結果がもたらされるであろうと。

私はまた未知の世界へと進む。そして、こんどは天地創造というのか、天国の花園の建設となるように頑張りたいと思う。

3月8日は最大規模の太陽フレアによって磁気嵐が地球に到達した日でもあり、満月の夜にもたらされた朗報。
posted by ミューシャ at 15:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 神、霊 | 更新情報をチェックする

2012年03月03日

マリアの御心

福島から他の都道府県へ非難してきた子ども達の人権侵害が相次いでいる。
入園拒否をされたり、学校でいじめを受けたり、または公園で遊ばせないように言われたりと。

一方では少しでも手助けをしようとする人々がいるというのに、その一方では平気で人権侵害を行う卑しき人間たちがいる。日本の恥。日本人としての精神性はどうなっているのかと。

保育園・幼稚園の入園拒否を行う機関の責任者はあまりにも無知で、そういう人間が児童の育成や保護に当たっている現状の恐ろしさを憂う。

また、被災という大変な思いをした人々を守れない世の中、教育機関。教師の質や指導方法、親の子どもへの教育に大きな問題点があるのではないだろうか。



ふと、過去のことを思い出した。私が第一子を産んで半年ほどのこと。夫の実家を訪れたとき、私は子どもを抱いて近所を散歩していた。
すると、すぐ近くの家に住む一人の老女が声をかけてきた。家でお茶を飲んでいってと。
夫の実家は田舎。近所づきあいは濃厚なはず。これは、しっかりしなければと老女の誘いを受けた。

老女は夫と二人暮らしだった。子どもは居たが、皆亡くなってしまったという。
とにかく嬉しそうにあれやこれやともてなしをしてくれ、赤ん坊を愛おしそうに見ていた。

しばらくすると、姿の見えなくなった私たちを探しに夫が来た。
夫も少しの間一緒に時を過ごした。

その後戻ると、義母は言った。あそこの家は子どもを連れて行かないほうがいいと。なんでも、その老女は病気を持っていて幼い子どもに移るらしい。それで、実際に移った子どもも居るし、老女の子ども達もそれで亡くなってしまったと。
もちろん、大人たちはお互い助け合う普通のご近所付き合いをしているのだが、どこの家も、子どもは近寄らせないようにしているとのことだった。

それを聞いた私は迷信だろうと思った。そして、昔と違って医学も進歩しているのだからと。むしろ、私と子どもが誘いを受けたときのあの輝くような嬉しそうな顔と、赤ん坊を見つめる喜びの目が忘れられなかった。そして、わが子なら絶対に大丈夫だろうとも思った。
だから、夫の実家に居る間、また、夫の実家へ帰るたび、子ども連れてその老女と話す時を持つようにしていた。義母がどんなに心配しても、私は老女に喜びを与えたかったし、自分の感覚を信じたから。

だが、その老女も今は他界した。そして、わが子は、いたって大丈夫である。健康そのもの。インフルエンザがどんなに蔓延しても、予防注射を打っていないというに罹ったことがないくらいに。

間違った認識や偏見ほど恐ろしく、くだらないことはない。正しい認識と知識さえ持てば済むことなのだから。

福島などの被災地の子ども達を大人や行政が守るのは当然のこと。
偏見を持つ人間達は自分の愚かさや知性の低さを嘆くべきではないだろうか。
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2012年03月02日

最終章〜希望を託して

光市母子殺害事件に新たな動きがあった。


山口県光市の母子殺害事件で殺人罪などに問われ、最高裁で2月20日に死刑判決を受けた元会社員大月(旧姓・福田)孝行被告(30)の弁護側が1日、最高裁に判決の訂正を申し立てた。訂正が認められた例はほとんどなく、棄却されれば正式に死刑が確定する。(読売新聞)
posted by ミューシャ at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 世相 | 更新情報をチェックする

2012年02月26日

歪んだ判決Part2

光市母子殺人事件の最終判決が出てからというもの、マスメディアの世界で流されるのは、そのほとんどが被害者の夫を賞賛するものばかりで、元少年の内面を公平に浮き彫りにするものは見られない。

光の部分だけを映し出して、陰の部分を映し出さなければ公平とは程遠い。



PS:
前回の記事にコメントが投稿できないようですので、この事件に関してのコメントはこちらの方にお願いいたします。ご迷惑をおかけしました。


PSその2:
今しがたseesaaブログの規定を調べたろこと、コメントは一度に2500文字までが投稿可能のことでした。それ以上の文字数になる場合は、お手数ですが複数回に分けてお願いいたします。
posted by ミューシャ at 21:28| Comment(34) | TrackBack(0) | 世相 | 更新情報をチェックする

2012年02月22日

歪んだ判決

2月20日、光市母子殺害事件の被告に対する最高裁からの判決が下された。

それは、死刑判決。これが、最終判決。

死刑を求め続けてきた被害者の夫。

一緒になって死刑をと連呼した多くの国民。

元少年の弁護団の戦略ミスは明らかで、そのことによっても少年はどんどん不利な立場に追い込まれていった。

確かに残虐非道な犯罪。あまりにも大きな罪。

しかし、更正の道を歩み始めていた。しかし、最高裁は更正の可能性を一切無視して、犯した罪に対してだけのあまりにも機械的な判決を下した。

元少年は判決前に、ある取材記者に対してこのようなことを言っていたという。
「どんな厳罰でも受け入れたい。ただ、死刑は死んだ時点で全てが途切れる。」と。

人は罪を犯したら、どんなに改心しても許されないのだろうか?死には死を持って償えというのは、あまりにも残虐な精神ではないか?法律は所詮、その時代の人間が決めたもの。どんな人間であろうと、たとえ法律であろうと、人が人の命を奪ってはならない。

また、元少年はあまりにも壮絶な虐待を受けてきている。普通であったなら、社会がきちんと子供を保護しなければならなかったはず。社会が守っていれば、このような事件は起きなかっただろう。
今回の事件は、元少年を取り巻く環境を管轄していた社会の責任でもあり、そういったもろもろの責任を逃れる為、死刑という結果にもろもろのものが圧し掛かったように見える。

私がもし被害者だったなら、あるいは被害者の家族であったなら、死刑は決して望まない。生きて、心から悔い改めることを希望するであろう。命を持って償うなどということは、何の意味も無いから。
人間は心を持つ生き物。人間は精神を持つ生き物。そして、何よりも、人間は霊魂を持つ生き物だから。
肉体の死など意味はなく、霊魂の存在に意味がある。
posted by ミューシャ at 00:07| Comment(9) | TrackBack(0) | 世相 | 更新情報をチェックする

2012年02月18日

天界の波動

雪が降る。雪が舞う。

夕方の空は、重い灰色の雪雲と、薄い雲のベールに覆われたオレンジ色の太陽のコントラスト。

まるで、天界の戦いのよう。ミカエルと龍。

太陽に心を合わせる。

太陽の熱に同化する。

そして、太陽が愛おしいと感じる。
posted by ミューシャ at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 呟き | 更新情報をチェックする