なんという酷い言葉なのだろうか。人に対して向けるべき言葉ではない。人として、口にすべき言葉ではない。
皇太子の人格否定発言。あれは、雅子妃のことについてだが、その奥にある神の意図に心を寄せたとき、本当は国民たちへの警告でもあったように思う。
人間存在の否定。それが、言葉の暴力によって行われている。言葉を発すれば、現実に行動となって生じる。善くも悪くも。
醜い言葉に麻痺している人間たちは、何も思わない。何も感じない。正当な理由をつけて、間違っていることを行い、それが正しいとさえ錯覚してしまっている。
だから、いつの頃からだろうか、虐められる側にも原因があるから虐められても仕方ないという風潮になり、それが虐め増加への拍車をかけた。
理由はなんにせよ、いけないことはいけないと教えられない教師や親。理由さえあれば、攻撃してよろしいと追い風を吹かせる。親が親なら、子どもも子ども。情けない血統の増殖。
人間には妬み嫉みというくらだない感情だけで、人を攻撃対象にしてしまう人も多い。醜い世界の形成。それに、彼ら彼女らは気付かない。粗い波動。
だが、そういう不浄な世界に身を置いていたとしても、やがて省みることができる日が来たなら、そういう者たちは、美しさを行動に現さなければならない。それが、今まで傷つけてきた人たちへの罪滅ぼしでもあるし、神に赦しを乞うことでもあるし、共に地球人類を美しくさせようとする者たちの仲間となることでもある。
ネットの世界でも、これだけ罵詈雑言が溢れ返っている。ならば、自分の感じた正しいことを、美しいことを、感動したことを少しでも多く書き続けようと思う。
そしていつの日か、美しく正しいものが、醜いものを上回ったとき、歯車は勢いよく回転しだすのだろう。
シュタイナーの言葉を引用して終りたい。
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自分自身の霊的完成のために努力することである。人間がこの努力を続けるとき、その行為はすでに宇宙全体のために役立っている。
自分を完全なものにすることは決して利己心のあらわれではない。なぜなら不完全な人間は人類と世界の不完全なしもべであり、完全であればある程、その人は全体のためにより完全な奉仕をすることができるのだから。
「薔薇が自分を美しく飾る時、庭園もまた美化される」という言葉はここにもあてはまる。
この意味で、偉大な世界観の創始者たちは偉大な魔術師でもある。彼らに由来するものが人々の中に流れ込む。
そしてそれによって、人類だけでなく、宇宙全体が進化する。
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