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私たちの自我は、私たちの周囲のすべてと内的な結びつきを持っています。実際、私たちは自我と共に、宇宙の中に置かれています。私たちの運命、私たちの幸、不幸は、私たちの周囲にあって、私たちの自我に働きかけてくる宇宙の経過と結びついています。
少し考えてみれば分かるように、私たちの肉体の力は、外なる空間に広がっているプルートーの力とはまったく似ていません。
しかし私たちの自我の運命が環境と深く結びついているように、この自我の力は外なる空間にあって、この自我に対応する神霊の働きと深く結びついているのです。ちょうど他の神霊の働きが私たちの内なる魂の働きと深く結びついているようにです。
私たちの自我体験が周囲の環境とどんなに深く結びついているか考えてみて下さい。私たちの自我は、眼を開いて夜の星空を見るときと、朝焼け、夕焼けを見るときとで、なんと違った感じを持つことでしょう。私たちは自分の自我をそのようなすべてから切り離すことができません。私たちは外なる大宇宙と内的に深く結びついているのです。
私たちは自我によって、周囲の環境の中へ注ぎ込まれています。黄金の日の光、壮麗な星空のように、外から流れ込んでくるものは、あるときは大宇宙の中の外なる対象であり、あるときは小宇宙の中の人間の魂に生じるイメージなのです。実際生活上、この二つははっきり区別されていません。互いに融合しています。
宇宙の奇跡を直接感じ取っていたときのギリシア人は、外なる空間に働く自我の力の代表神を、この人間本性から離れている神々よりも、はるかに身近に感じ取っていました。ですから、外なる宇宙における自我の力を代表する神は、人間本性と深く結びついた神であり、その運命、その生き方が人間的であるような神であるはずです。そしてそのような神こそ、デュオニソスにほかなりません。
プルートが宇宙に拡大された肉体の力の代表であり、ポセイドンがエーテル体の力の代表であり、ゼウスがアストラル体の代表であるように、デュオニソスは自我の中に働く魂の力の宇宙的な代表なのです。エレシウス秘儀におけるデュオニソスは、不思議なことに、最後になって私たちの自我の前に現れます。
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デュオニソスについては、「神々との出会い」に詳しく書かれてある。
我々人間は、鏡像の世界に在る。シュタイナーは、認識の過程で魂の試練ということについても述べているが、その感覚が麻痺していない限り、あらゆるところで鏡の原理を楽しむことも出来、また、苦悩することも出来る。それ故に、霊魂の成長があるのではないだろうか。
「霊界物語」の三十七巻と三十八巻は、王仁三郎の自伝が口述されている。よくもまあ、これだけ霊的現象が起きていたものだと少々唖然としたが、その中でも神罰によって命を失った人のことも書かれてあった。
確かに、神罰ということはあるのだろうと思う。しかし、それは自分の自我の均衡だけではなく他者の自我の均衡も、その人間の悪しきもので崩してしまった為に、宇宙のリズムもそれによって乱れ、その乱れは発信源である所へ帰るという法則下から起こるものではないだろうか。
鏡の世界は、すべて反射の世界。正しくありたいものである。

