だが、それを思い悩むことなかれ。かえって美しくなれるチャンスでもあるかも知れないからである。
霊界物語にもそれは書かれてある。第五十二巻第九章より抜粋。
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すべて現界に在つて耳の遠き者、あるひは手足の自由の利かぬ者、その他いろいろの難病に苦しんでゐた者、霊肉脱離の関門を経て霊界に入る時は、肉体の時のごとき不具者ではない。すべての官能はますます正確に明瞭に活動するものである。
しかしながらたとへ円満具足せる肉体人といへども、その心に欠陥ありし者は、霊肉脱離の後に聾者となり盲目となり、あるひは痴呆者となり不具者となり、その容貌はたちまち変化して妖怪のごとくなるものである。
すべて人間の面貌は心の索引ともいふべきなるものがゆゑに、その心性の如何はただちに霊界においては暴露さるるものである。
現界においても悪の最も濃厚なる者は、なにほど立派な容貌といへども、これを熟視する時は、どこかにその妖怪的面相を認め得るものである。形態は申し分なき美人にして、凄くあるひは厭らしく見える者もあり、またどことなくお化けのやうな気持ちのする人間は、その精霊の悪に向かふこと最もはなはだしきを証するものである。
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神の法則は、まったく公平なもの。ただ、輪廻の段階で自身が作ったカルマや目標のために、現界での状態が生じている。
だが、どんな状況設定の中に自分が置かれていようとも、その霊魂の姿はあるがままなのである。嘘偽りの利かない世界。正しき天秤の世界。
だから、苦しい中で悩み泣いている人は、真っ直ぐ前を向けばいいだけ。そして、自分の心魂を美しく育てようと努力すればいいだけなのである。
この世は、全ての人間たちにとっての学校なのだ。誰も先生にはなれない。誰もが生徒なのである。
ふと、思った。王仁三郎が造った耀わん。それは、世の中そのものなのかも知れないと。すなわち、王仁三郎の知り得る世の光。なんとなく、そんな気がした。
光を身に纏える人間となりたいものである。

