2007年09月30日

雛形としての心

ネット上に公開されている出口和明氏の講演ビデオを見た。2回、見た。最初は音声が聞き取りにくかった為、2回目はイヤホンで聞いた。イヤホンを使うと、かなりはっきり聞き取れる。

その中で、心にずしんときたことが一つだけあった。それは、日出麿が王仁三郎の位置に取って代わろうとしたとき、王仁三郎が、「お前に神の仕組みの何が分かるか」と、怒ったという説明のところだった。

王仁三郎の、その思い。あまりにも重く、あまりにも辛いこと。心がはち切れそう。

雛型、雛形と人々は簡単に言う。ある種の人々にとっては、その重みを知ることもなく、自分は出来る、自分が選ばれし者と思ってしまう様子も目にする。

だが、雛形とは、ほんの少しの歪みも狂いも許されないこと。それは、まるで高い断崖から断崖へと架けられた一本の綱を渡っているようなもの。
しかし、どんな突風が吹いたとしても落ちることは決して許されない。それほど緊迫したものではないだろうか。

まさに、ぎりぎりの精神状態を持続させねばならない。分かっている故に、辛いこと。そう簡単に雛型など出来やしない。

もし吾々が雛形として出来ものがあるとするなら、それは自分の周りに於いてのことだけ。自分の周りを善きものに変えようと努力することだけ。
でも、それだって素晴らしいこと。そんな輪が広がっていけば、それはやがて大きなうねりとなるから。
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神託を担う者

ふと、思った。まだ、神託を得やすい時代のことを。それは、夢による神託であったり、精神統一の状態からもたらされる神託であったり。

シュタイナーの語るシビュラ。私が一番好きな状態。空気との一体。

もし、神託を受ける人間たちが、同じ時代に同じようなことを得ていたとしたら?
ただ、悲しいことに、神託を権力の為に利用する人間もいるということ。そこに、混沌とした状態が生じていく。

だが、神託を得た人間達が権力から離れ、結束したとしたら? これも面白い状態。お互いの情報交換。もしかしたら、そんな時代があったのかも知れない。
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2007年09月22日

王仁博士

眠い目をこすりながら、大阪枚方市にある王仁墓及び彼の出生地をネットで見ていた。すると、突然、地震が。震源地を見ると、なんと大阪府北部。枚方は震度1。

私の居るところも揺れたのだが、なぜか揺れの観測情報は無し。ただ、地震とかでびくっとすることはないのだが、なぜか、今回は少し心臓が踊った。不思議なものである。

それにしても、最近はいろいろなシンクロがある。
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2007年09月20日

高麗王若光

私の見方は、たぶん偏っていたのだと思う。
高句麗のイメージが赤。なぜか、赤い服を好まない私には、赤のイメージは無意識の内に高句麗を敬遠したい思いへと向かわせたのかも知れない。

だが、高句麗について調べていくと、抱いていたイメージが変り始めた。

新羅の雅さに対する高句麗の慎ましさ。
そして、高麗王若光の存在。気になる人物。
その当時の時代背景の中で生きて来た多くの人物像。押し寄せる波に、どう立ち向かうか。



最近、下の子が、やたらとモンゴルへ行きたいと言い出した。中学生の女の子にしては珍しい希望地だなと思うのだが、本人にしたみたら、とにかくモンゴルの風景に憧れて、とても癒される感じだから行きたいと言う。
それを聞いた私もまた、計画してもいいかなという気になってしまうから困ったものである。
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2007年09月18日

百済という名の影に

百済観音は、もとは虚空菩薩として伝わっていたという。だが、この像が発見されたとき、「百済国将来」という伝えがかぶせられていたことから百済観音と呼ばれるようになった。
また、楠木で作られているが、これは朝鮮半島にはないので、おそらく日本で作られたものではないかとのこと。

わざわざ、百済国将来という伝えをかぶせなければならなかった理由は、自ずと見えてくる。
新羅の反対勢力だろうか。昨日の伝馬古墳。藤ノ木古墳と似ている。そして、盗掘もされずにずっと祭祀が行われていたという事実。

また、仁徳天皇が度々訪れていたという現在御幸森神社がある辺り。そこは、昔は百済郡と呼ばれていたという。その呼び名も立ち止まって考えてみる必要があるだろう。

新羅の形跡を消したい流れでもあり、また百済を思う流れでもあるのではないだろうか。とは言っても、今後もかなり考察して行かなければならないだろう。

また、個人的な今の心境としては、どうも高句麗には親近感が持てれない。
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親鸞

昨日は、ひょんなことから浄土真宗縁のところへ行ってきたが、先ほどネットのニュースで次のことが載っていて、そのシンクロに驚いた。


浄土真宗本願寺派の寺院、常楽寺(京都市下京区)が宗祖親鸞(1173−1262年)の肖像画を張った掛け軸を修理に出したところ、軸部分から「遺骨を宝塔に納めた」とする墨書が発見された。本願寺史料研究所が18日、発表した。
寺には親鸞の骨を納めたと伝わる舎利塔があり、同研究所は「中の骨片が親鸞の遺骨である可能性が高まった」としている。

(時事通信社)


こうやってシンクロが起こると、その度に関連したことに注意が向けられるから、実に面白いものである。

ただ、やることは多くて、今朝の顔は目の下に大きな隈。そんな忙しい中でも、昨日の新羅の金冠といい、今日の親鸞といい、短縮された時間の中で出会えていくのは、まさに神の恵みだろうと思う。
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2007年09月17日

新羅の金の冠

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出会った。いつか見た金の冠のヴィジョン。この写真よりももっと背の高いものだったが、よく似ている。

新羅の金の冠。慶州の天馬塚古墳から出土したものだという。

藤ノ木古墳から出土された冠は、どのような形態のものだったのだろうか。
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お遊び的思考

NHKの大河ドラマを見ていたら、生島足島神社の存在を知った。信州上田にある。北向きのその神社は皆神山を向いている。また、大阪の生国魂神社。そこも、生島神足島神を祀る。

建御名方はスサノオ? 神武、仁徳天皇は新羅? 丹生都比売も新羅系?

新羅と百済。百済と藤ノ木古墳の埋葬者?

高句麗は丹波? 仁徳天皇の時代、丹波からのスパイが入り込んできていたという。そして、そのことを仁徳天皇は見破ったとのことだ。

丹波と出口王仁三郎を結び付けていたために、その枠から出られなかったが、もしかしたらその当時の丹波から日本が混沌としていく不穏な流れが入り込んだのかも知れない。

だが、まだまだ勝手な推測の段階。分からないことだらけのミステリーな古代史だから面白いのだろう。
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2007年09月16日

尊い生命

人の和が拡がって行く。どんどん、どんどん。予期せぬところでも。

子どもの友達の母親に、とても恐い人がいるということを聞いていた。母子家庭であるが、いつもカリカリしていて怒ってばかりなので、その子は、なるべく友人達の母親とは合わせないようにしているという。そう、とにかく恐いらしい。

が、どうしたことか、今日の模擬テストのための会場へ車で送り迎えをしてくれて、しかもお昼までご馳走してくれたというのだ。

子どもは出かける時、「あのお母さん、挨拶しても返事をしてくれないし、いつも怒っている顔をしているし、メッチャ恐いから気が重いなー」と言って出かけた。

が、帰って来たときは、「なんか、今日はめちゃくちゃご機嫌だったみたい。回転寿司で驕ってくれたのだけど、遠慮して少しにしていたら、もっと食べろ食べろって言ってくれるし、帰りは家の前まで送ってくれた。」と。

私は、お礼の電話をかけた。
すると、「いつも娘がお世話になって、いろいろしていただいているみたいなので、今日はチャンスだと思って少しだけれどさせてもらいました。」とのこと。

その話し方、声の調子から、一人でほんとうに頑張っているんだな、頑張りすぎているんだな、と思った。他者に甘えるのではなく、依存する気もなく、とにかく一人だけで頑張らねばという思い。

人は助け合うもの。助け合って当然のこと。

ただ、今年になって聞いた。それは、この町の人々は片親だけの家庭には冷たい人が多いということ。そういう家庭の子とは付き合うなと言う親が多いらしい。

それを聞いたとき、私は唖然とした。そんな馬鹿な、嘘でしょうと。でも、私の子どもたちの友人関係を見たとき、悲しいことに頷けるものがあった。

私は、境遇によって分け隔てをした付き合い方など教えてはいなかったし、そんなことは思いもよらなかった。だから、子ども達は誰とでも気が合えば付き合っていた。
そして、母子家庭の子どもの親の殆どは気を使うのだろうか、何かにつけてわが子にいろいろとしてくれようとしていたのだ。

なんと、酷い町だろうか。平均的な人間達にとって良い状態になってきたとしても、誰かを蔑んで、弱者を虐めて喜んでいるとは、決して許すことは出来ない。

人は皆平等。人間としての優劣などたかが人間につけられる訳がない。
だから、私は殊更そういう人々に礼節ある態度を取りたいと思う。人として認めること。人間の尊厳を大切にすること。そして、それは当たり前すぎるくらい当たり前のことなのだ。
posted by ミューシャ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 人間 | 更新情報をチェックする

2007年09月15日

変貌する町〜続編

町の中は変化してきたのかも知れない。だが、それでも、それはある平均的な層の人たちに当てはまることなのではないだろうか。

弱い立場にある人たちの叫びが無視されている。私の目にはそう映るし、また、彼ら彼女らの叫びや諦めの声も耳に入ってくる。

平均的な層の人たちにとって良くなってきたなら、余裕が生まれるはずだ。だからこそ、それに満足しているのではなく、弱い立場にある人々にスポットを当てて改善していかなくてはならない。

叫びに耳を傾けなかればならない。諦めの心境にさせてはならない。常に、希望がなければならないのだ。

目を瞑らずに、影の部分に光を当てて行くことこそ、全体の繁栄にと繋がるのである。
posted by ミューシャ at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2007年09月13日

変貌する町

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今日、ある町会議員と話した。その話の中で、この町がかなり変わってきたという話を聞いた。
以前は、嫌気がさしてここから出て行く人が多かったが、今はその反対だという。特別問題もなく、学校も平和だということで、人気が出てきているとのことだった。

それは、教師達も同じらしい。保護者との摩擦もなくやり易いから、この町の学校で勤めたがっている人が多いとのこと。

私がここへ来た時は酷い町だった。出て行きたがる人をよく見かけた。
戦って、疲れ果てて、その後は極力関わらないようにしてきたが、その間に大きく変化していたのだ。

180度の変貌を見せた町。そして今、私はここである種の長という立場に立たされた。周りの人が驚くような思い付きを意図も簡単に打診する。しかし、その全てが今のところ上手く運んでいるのだ。私に、私利私欲はない。ただ、良いと思うことを実行するだけなのだ。
posted by ミューシャ at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

対極からの目

安倍総理のことを思うと心がズシンと重くなるが、総理としてトップの座に立った深い思いやりのある人間の心情は。

自分だけを潰そうとしている勢力。その為に同胞達が次から次へと些細なことさえも穿り出されて窮地に追い込まれて行く。中には、死へと追いやってしまった大臣もいて。

もし総理で居続けるなら、こんな状態は続き、有能な人間達が前途を閉ざされてしまう。それは、国にとって大きな損失であり、また遅滞をもたらすかも知れない。

政治と金の総理として報道されているが、安倍総理自身は一番クリーンな政治家。故に潰されてしまったのだろう。

そして、決断したのだと思う。対極から物事が見れる人ゆえに。
posted by ミューシャ at 10:20| Comment(2) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年09月12日

美しい政治家

安倍総理の辞職表明。驚いた。まさか、自分から・・・・。
でも、確かに厳しい状況。参議院で野党優位の状態では何も改革が進まない。小沢ものらりくらりと党首会談を避けてばかりだっただろう。

でも、時は流れて行く。決断しなければならないことの期限も間近。テロ特措法にしても、世界の中での日本の立場を考えたら、また、今後の日本のことを考えたら継続しなければならないこと。日本のためなのに。

テレビ朝日では安倍潰しの厳命が出されていたと聞いた。テレ朝の安倍に対する批判の酷さは、中学生の子どもたちの間でも話題になっていたという。
なりふり構わず安倍潰しにかかったテレ朝だが、子供たちにもちょっとおかしい、酷いのでないかと思わせる報道の仕方について、その罪の重さを考えるべきである。

安倍総理が、自分が総理であるがために出来ないと言った意味は重い。これだけ潰そうという勢力が多いのでは、改革は進めたくても進められないのだ。

それにしても、一年生議員の女性が安倍総理を目の前にして批判をしたのには驚いた。どうやら、親からきちんとした教育を受けていないようだ。気の強い能力のない人間ほど役に立たないものはない。

また、野党は批判するばかり。日本に停滞をもたらす気なのか?安倍政権になって、スケールの大きな日本になりかけていたのに、再びスケールの小さな国に戻ってしまうかのよう。

だが、私は美しい政治家というものを見れたことに喜びをも感じている。安倍晋三という美しい政治家、真っ直ぐな政治家、心の深い政治家を。
彼の真摯な政治の美学は、きっと多くの人の心に流れ入り、その流れがいつか集結して大きなうねりとなって行くことだろう。

安倍総理、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
posted by ミューシャ at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 人間 | 更新情報をチェックする

2007年09月11日

また・・・・。

仁徳天皇、素盞嗚尊、饒速日尊。
最近、意図する訳ではないのに、なぜかこの三人の縁のところへと導かれる。

そして、法隆寺、藤ノ木古墳も。

忙しくて考えている暇もあまりない年。けれど、引き寄せられる。

よくわからないが、その全てに似通った何かを感じる。

人、人、人。
周りに集まってくる人々を、また関わる人々をよく観察しよう。何かが紐解けるかも知れないから。
posted by ミューシャ at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 呟き | 更新情報をチェックする

2007年09月09日

小さな魂〜伝書

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昨日の空。雷鳴が轟き、少なくとも私の周りには雨が降っていた。しかし西の空では、雲の合間から薄っすらと太陽光線が地上に降り注がれていた。



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今日の午前のことだった。ベランダに出ようと戸を開けると、窓に止まっていたのだろうか、小さな白っぽい蝶が舞っていた。その蝶はそのまま何処かへ遊びに出かけた。

その数分後、今度はこの写真の蝶がベランダに訪れていた。最初、写真を撮ろうとすぐ側まで寄った時、驚いたのだろうか、数秒ほど羽を広げて飛び立とうかと考えたようだった。
しかし、すぐに羽を閉じてそのままくつろぎ続けた。

暫らくしてから、まだいるだろうかとその蝶を見ると、外を向いていたのが、いつの間にか家の中を覗きこむかのようにこちらを向いている。何かを伝えたいのかしら?



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そうしたら、こんどは蝉がやって来た。側によって、パチリ。数分後、この蝉は小さな体だというのに、大きな声で鳴き始めた。夏の終わり。最後の蝉の言霊?



その後、買物に出かける時に、まだ居るだろうかとベランダを見ると、二匹とも、もうその姿はなかった。

だが、買物先では、体調10センチほどの緑色のスマートなトカゲとこんにちは。今日は、なぜか小さな生き物達によく出会った日。

そして、今、窓の近くで小鳥が可愛らしい声で囀っている。
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2007年09月06日

純粋な力

いつもは、その目に多少の不純物を躍らせていても、靄のように覆っている膜が完全に取り除かれる時がある。

そう、こちらが植物のように「ひたすら」の姿勢であり、「ひたすら」な心であるならば。

だから、醜い感情を持ってはならない。もし、己の中に醜い感情があるならば排除すべきなのである。

ある人には金銭的な交渉をしなければならないが、公的なお金であるならば、なおさら純粋に処せねばならない。
そして、その純粋ということは、人間の感情を左右させる欲を葬り去らせるものでもある。

人の目から不純物が取り除かれた瞬間から、その人は純粋な協力者となる。
ただ、私は取り除こうと思ってやっているのではない。いつも、無心なだけだ。
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2007年09月03日

アクシデント

実に面白い。また、予期せぬアクシデント発生。よくもまあ、次から次へと起こるものである。

そういえば独身時代、「ナザレのイエス」呼ばれていた時期があったな。なんと、懐かしい思い出だろうか。

今は? なんと呼ばれるのだろうか?

だが、弱い立場、苦しい立場にある人たちにやさしくなければならない。そういう立場にある人こそを輝かさなければならない。それが、私の心情。
ごちゃごちゃと見苦しい欲を現す雑魚連中には関わっていられないし、まともに向き合わなくてもいい。
ただ、必死に生きる美しい人たちを輝かせたい。

さーて、このアクシデント、どう乗り切る? まあ、今までいろいろなことをクリアしてきた自信があるから、なーんてことはない。ただ、正しく突き進むだけ。

予期せぬアクシデントとは、意外とスリルがあって楽しいものである。
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2007年09月01日

徳〜神の恵み

前回の書き込みは、本音とはいえ、非常に愚かな書き込みだったので、心を入れ替えて「徳」について書いてみようと思う。

「メノン」プラトン著 から抜粋。


――――――――――――――


徳が知識として教えられうるものでなく、しかも、有益なものでなければならぬとすれば、徳とはこの正しい思わくにほかならないことになる。

徳は生まれつきによるものでもなく、正しい思わくとして、知とは無関係に「神の恵み」によって人に与えられるものである。


―――――――――――――



「正しい思わく」であり、「神の恵」。それを徳というのなら、それは、まさに湖水に落ちてきた一滴の雫が拡げる波紋のよう。

だから、心という湖をどのように保つかが大切となってくる。
綺麗な波紋を拡げたいと願うから、常に省みたい。

穢わしいと思って、極力離れていようとするのでは何も変らない。我慢をし、自身の湖を美しく保つことによって、その波紋をまた他者の湖にまで連動させることが出来るのだから。

穢れに染まってはならない。常に自身を浄化すること。そして、相手の美なる面を見つけること。
posted by ミューシャ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 人間 | 更新情報をチェックする

一掃すべきトップ

今の私の叫び。

校長はアホだ―――!!!

この町の小学校の定年間際であった校長も能力の無い思慮の浅い校長だったが、今の中学校の校長も同じ。
人間的にも能力的にも低すぎる。これが大手の民間企業だったら、永久に平社員からの昇進は望めないだろう。って、その前に就職すら出来ないだろうけれど。

安倍首相、公立学校のトップを一掃してくださいな。こんな状態では、教育現場の向上には長〜い、長〜い時間がかかりそう。そのうち、地球滅亡。

それにしても、あんなのとまだまだ顔を突き合わせていかなければならないかと思うと、ほんと、身の毛がよだつ思い。穢らわしいと思ってしまうのであった。
個人だけの問題であったなら時間の無駄だと、さっさと離れるのだが。

あ〜、穢らわしい。
posted by ミューシャ at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | 更新情報をチェックする