2007年12月30日

四代に亘る榊

さてさて、やってまりました。榊のバトンタッチ。



DSC00404.JPG


2008年度の仕事をしてくれる榊です。これから、よろしくね。やはり、初々しいですね。若武者というところでしょうか。




DSC00405.JPG


今年、2007年度を元旦から守り続けてくれた榊です。一年間、ご苦労様でした。




DSC00406.JPG


2006年度の元旦から、今まで守り続けてくれた榊。二枚の可愛らしい葉が、ほんの少し、微妙に成長しています。




DSC00407.JPG


そして、2005年度の元旦から、なんと3年間も神棚の聖域をお守りしてくれた榊です。とうとう、4年目に突入です。

2005年度と2006年度の榊はかなり少なくなりましたが、それでも生き続けている枝があるのです。普通に水道水で毎日水を替えているだけなのですが。

ただ、今年は、ちょっとだけ危機に見舞われました。海外赴任をしていた夫が帰国したのですが、長く留守をしていると居場所が無くなるのですね。それで、仕方がないので、神棚のある座敷に就寝してもらうことにしたのです。
そうしたら、しばらくの間、毎日毎日、一枚、また一枚と葉が枯れ落ちて行ったのです。もう、駄目かと思いました。
でも、そのうち、榊も受け入れてくれたのでしょう。枯れることが止みました。
我が家の榊は、枯れるということは、あまりないことなのです。葉が落ちるときは、枯れずに青々としたまま、ぽろっと落ちるのです。まるで、椿の花のように。




さあ、最後に、みんなで、ハイ、ポーズ!


DSC00401.JPG
posted by ミューシャ at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2007年12月29日

真摯であれ

岡山への旅行が抽選で当たり(とは言っても、行っている暇がないのだが)、また、それとは関係なく、年明け早々に岡山へ行く用事が出来た。
なぜ、こうも、急に岡山へ引き寄せられるのかと思っていたら、今度は、ひょんなことから次のようなものを目にした。

「岡山で伊勢神宮展開催 斎王群行を再現」
12月1日には、かつての斎王が神宮に向かう斎王群行が、伊勢神宮式年遷宮奉賛会岡山県本部と岡山県神社本庁の主催により、岡山市内で再現されたという。

また、伊勢の神社をネットで調べていたら、「斎宮跡」というのに出会った。不思議なことに、私は斎宮跡の存在をその時にはじめて知ったのである。

シンクロに次ぐシンクロ。
時々、思う。くだらない自我というものが無くなれば無くなるほど、大きな川の清流の中に身を任され、流されていることを。
だが、流されているといっても、現実の歩みに支障を来たすものではない。現実を疎かにせず、小さなことや隣人に対して真摯に生きようとするからこそ迎え入れられる川の流れ。



霊界物語第七十二巻第三章から抜粋。

    高天原より降ります   天人天女の精霊を
    吾等の身魂に下しまし  守らせ玉ふぞ有難き


この歌の意味。今は、感覚として理解できる。だから、私はいつもどこかに安心感を持っていられるのだ。唯一、溶け合うことの出来る感覚。
posted by ミューシャ at 23:37| Comment(2) | TrackBack(1) | 呟き | 更新情報をチェックする

張り巡らされた宇宙歌

ここのところ、やることが沢山あって、本当に猫の手でも借りたいぐらいである。毎年思うのだが、師走とはよく言ったものだなと。

今日は、上の子が面白い情報をもたらしてくれた。

子「日月神示って、知っている?」

私「岡本天明の日月神示でしょ。王仁三郎とも深い関わりのある書よ。」

子「本屋で立ち読みしてきたのだけれど、王仁三郎が育てたラビ・バトラという経済学者のプラウトという理論と、その日月神示が非常に似通っているというという観点から書かれた本があったのだけれど、かなり面白かったよ。ナチス・ドイツのことも書かれてあったし、なかなかのもの。時間が経つのも忘れていた。」

子どもが日月神示のことなど知っている訳がないので、その口から日月神示のことが出たことに少し驚いたが、本の内容を聞いていると、私も読みたくなってしまった。

それにしても面白いものである。子どもは霊魂のことにあまり興味はないが、いろいろな方面から出口王仁三郎に繋がっていく。王仁三郎という人間は、どこまで糸を張り巡らせていたのだろうか。
ふと、ジャックと豆の木の話を思い出した。天まで届く豆の木。

昨日、霊界物語第七十二巻を読み終えた。余白歌の最後の三首。一見、同じテーマ。でも、奥深いと思った。
posted by ミューシャ at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2007年12月25日

神の器

霊界物語の音読も、やっと第七十一巻の終わりまで来た。この物語は、心の持ち方を教えているように思える。

この世では自分にまったく落ち度がないのに、不当なことで残酷な目に会わされた時、また、最も愛する者が傷付けられたとき、決してその人間を許すことは出来ないだろう。
その感情は憎しみへと変り、挙句の果てには呪いへと変化し、相手の不幸を願い、時には死まで願う。

しかし、それでは何も解決はしない。解決しないどころか、自分自身をも地獄へ落とすこととなる。

これに関して、霊界物語ではさらりと因果応報故に起こる事だと書いてある。
また、シュタイナーのカルマ論は、かなり奥深く詳細に解き明かしているので、興味のある方はルドルフ・シュタイナーのカルマ論を学べばよいかと思う。

私はこの町へ来て、あまりにも壮絶な体験をさせられた。本来なら、憎しみだけの感情が支配するのかも知れない。

だが、霊学は、私を地獄の感情から抜け出させてくれた。どんな酷いことをした人間にでも愛の目を向けられるように導いてくれた。

確かに、いまだに、ふと、慟哭の世界へと引き戻させられることはある。
だが、恨みつらみの世界に居るよりは、前へ歩くことの方がどんなにか楽であろうか。前へ歩き続けることの方が、価値あるものを生みだしているから。そして、人を憎むよりも愛した方がずっといい。心が軽くなる。

人間は、本来、愛の世界から出でたのだと思う。だからこそ、愛の理に叶った生き方が性に合っているのだ。

悪意のある者たちが嘘で作り上げたことは必ず崩されて、やがて真実の姿が現われてくる。そして、その真なる姿が世間からも認められるのだ。

私は、この法則を知った。だから、正しくありたいと思うし、悪人達を許したいと思う。また、悪人というのは、とても弱い人。弱いから悪に染まるのである。手助けが無くては一人では歩けないのだ。

霊界物語に描かれているそれぞれの宣伝使の姿からは、許すという気持ちと、素直な物の考え方を教えられる。そして、一点の曇りもない状態が呼ぶ大きな助け。大きな大きな希望。神の器となれるように日々頑張りたいものである。
posted by ミューシャ at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年12月23日

受験生

受験生にとっては、クリスマスはいつものそれとは違う。中学3年生。初めての受験。思春期ということも手伝い、子どもによってはいろいろとあるようだ。

何かあったとき、親の対処次第で登校拒否にもなるし、乗り越えられることもある。

ある男の子は煙草を吸っているところを親に見つかり、その場で泣かれ、それ以来、学校へも塾へも来なくなったという。この大事な時期に、成績表は1のオンパレード。

また、公立高校を目指していたが、そこへは無理だと諦め、年の瀬も迫ったこの時期に急に私学を専願で受けようと路線変更得をする子も多い。

そして、公立高校の内申点の比重が大きいところでは、その内申点ゆえに、現在、実力があってもランクを下げざるを得ない子もけっこういる。

まさに、子ども達にとっては大変な時期。ただ言えることは、親は決して子どもたちの芽を摘まないことだ。

私は、いつも子どもたちにはチャレンジ精神でいて欲しいと思う。決して諦めるなと。決して駆け引きをするなと。そこへ行きたいのだったら一筋に頑張れと。そして、もし駄目だった時にはその時で、きちんと子どもが伸びて行けることの出来る道も用意してある。

上の子は、手がかからなかった。強い精神力と意志力と集中力を持ち併せていたし、そのくせがり勉タイプではなかった。むしろ、勉強は本人にとって必要最低限のものしかしていなかったようだ。まず、自分の勉強机に向かって勉強をするということはなかったし、いつも、煩いリビングでの勉強。息抜きの天才だったのかも知れない。
そして、高校受験当時の偏差値は73あたりだった。

下の子は、今、受験生。さんざん自分のやりたいことをやってきて、内申点のことも省みず、また、家族の忠告も上の空。そのつけが今やって来たという感じである。さすがに、焦っているようだ。
だが、彼女には前々から行きたい高校があった。どうしても、そこへ入りたいと。だから、さすがに頑張り始めた。
なんせ、夏休み前の偏差値が48〜49という低さ。どうやったって入れるわけないと思っていた。だが、今は55〜63あたりをうろついている。もうひと踏ん張りだ。しかし、今学期の内申が良くても、それまでが稼いでいなかったので、当日点を沢山取れるように努力しなければならない。

本人の頑張り次第。そして、ここへ来て、彼女はかなり後悔している。初めから真面目にやっておけば良かったと。だから、高校へ入ったら、最初から頑張ろうと心に決めているらしい。

そんな彼女。一時期、自暴自棄になりかけたことがあった。行きたいと思っていた高校へは無理だと塾長から言われた時のことだった。
甘い考えでいたものが、現実を突きつけられたのだから、それはショックだったのだろう。人前で涙など見せない勝気な子が、塾長の前で涙をポロポロ流したそうだ。塾長も、予期しないことに大変驚いたとのことであった。

その時、私は言った。「今まで自分がやってきたことの結果なのだから仕方がないでしょ。どうしても、その高校へ行きたいのだったらやるだけやればいいじゃない。当日点でどれだけ取れるか。もう、あなたにはそれしか道が残されていないでしょ。初志貫徹よ。そして、もし駄目だったら、お金がかかるけれど私学に行かせてあげるから。」と。

これを機に、彼女は頑張りだした。どうしても行きたい高校なのだから。そして今は、塾長からも担任の教師からも、今の実力だったら大丈夫だろうが、内申を稼いでいなかった分、頑張らなければならないと言われる様にまでなった。

受験まで、まさに毎日が戦い。初めての孤独な戦い。そして、途中で息切れすることなくやり遂げられるように傍で支えるのが親の仕事。
posted by ミューシャ at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | 更新情報をチェックする

2007年12月19日

最近は、天皇は男系か女系かということがあまり話題に上らなくなったが、霊界物語には、はっきりと書かれていた。



六十九巻第七章より抜粋。

『三五教教にも女のお世継ぎが良いと示されてあるではないか。女の世継としておけば、腹から腹へ伝わつてゆくのだから、その血統に少しも間違いはない。もし男子の世継とすれば、一方の妻の方において、夫に知らさず第二の夫を拵へてゐた場合、その生まれた子は何方の子か分からぬやうになつて来る。それだから却つて女の方が確実だ。』



むか〜しむかしは、お世継のためにいろいろな策略が渦巻いていた。だから、男系としてきた天皇家が確かな血統を受け継がせて来たかどうかは定かではないだろう。

私は以前から女系賛成派だったが、人は女のお腹の中から生まれ出でて来る。これは、とても重要なこと。




話は変るが、最近、面白いことに遭遇した。かつて、この町の小学校の教師だった人が書いた本を随分前に読んだことがある。その本を読む限りでは、なんといい雰囲気で良いところだったのだろうか、なんという素晴らしい師弟関係が築かれていたのだろうかと思わされる。

しかし、その教師の教え子の話を聞く機会があった。そして、その教師は大変な暴力教師だったということを知る。訳もなく暴力を振るっていて、子供たちは恐怖に怯えた日々を送っていたと。

日本書紀も古事記も、時の権力者の意向に沿って書かれたもの。きっと、こんなふうに書き上げられたのだろう。
真相を知るということは、本当に難しいことである。
posted by ミューシャ at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 神、霊 | 更新情報をチェックする

2007年12月15日

石笛と精霊

久しぶりに石笛を吹いた。
吹き方を知らないが、その時々の思いのままに任せている。

今日は、腹の底から息を出して強い音を出した。とてもとても大きな音。不思議なことに、様々な音階が出て、一種のメロディーとなった。

気がつくと、この町の悪しき人々の面々が流れていき、私は平和を願っていた。

朝から風の強い寒い日。窓はガタガタと音をたてていた。
だが、どうしたことだろうか、石笛を吹き終わると風は弱まり、窓は音をたてなくなっていた。

石笛は大自然の精霊達を動かすのだろうか。それとも、偶然か。
だが、確かなことは、悪しき心がほんの少しでもある時は、決して吹いてはならないということ。
石笛を吹くには、それに相応しいだけの透明体になっていなければならないということ。
恐ろしくもあり、希望でもある。
posted by ミューシャ at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 神、霊 | 更新情報をチェックする

2007年12月10日

生きること

五体満足であるということが、本当に幸せなことなのだろうか。

五体満足であるということの幸せに麻痺し、神の恩恵を忘れてしまっているのではないだろうか。

五体満足であるということが、あたかも普通のことであるかのように錯覚し、感覚を失っていく。

五体満足であるということは、使い方を間違えれば悪に染まり易いということ。

五体満足であるということは、使い方を間違えれば他者を傷付けるということ。



目が見えない人のその耳は、広く深い音の世界を知る。

耳が聞こえない人のその目は、フィルターのない世界を知る。

目も見えず、耳も聞こえない人のその肌は、クリアな心の世界を知る。

五体満足の人間よりも、もっともっと高い、神に近い世界を知る。




五体満足であるということが、本当に幸せなことなのだろうか。

五体満足でない人の世界が、ひどく羨ましく思えるときがある。

その研ぎ澄まされた感覚が、肉体を持ちながら神の領域の中に居ることが。



五体満足なら、五体満足の人間がやらなければならないことをしなければならない。

泥まみれなりながらも、泥を取り除き、きれいにしていくことを。クリアな世界にしていくことを。
posted by ミューシャ at 23:12| Comment(7) | TrackBack(0) | 人間 | 更新情報をチェックする

2007年12月05日

灯台

なんらかの布石を打っても、校長、教頭という立場の人間の意識が低く、また視野が狭く、機も察知できないのでは、もうどうしようもないのかなと思ってしまう。

ある酷い規約が存在してきた為に、そこから発した思考はどんどん浸透し、定着してきてしまっているように私の目には映るのだ。
そして、その思考は、多方面に亘り弊害を生じさせる思考を増殖させている。

弱い立場の人々の声が聞き届けられないシステム。否、すべての人の声を吸い上げていくシステムが存在しないのだ。それも、大きな問題点なのである。

表面的に賞賛されることを望む性質の町。だから、表面的に整えることのみにしか動かない。根の部分は、いつ腐食が始ってもおかしくない状態であるというのに。

それでも、私は布石を打ち続けねばならない。比較材料を多く持つが故に。任期が切れるまでは。
posted by ミューシャ at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 呟き | 更新情報をチェックする

2007年12月01日

本音〜純真〜天使存在

なんの打算も無く、私利私欲も伴わない本音。
真っ直ぐに、すっと繋がる感覚。
そこには、沢山の細かい銀色の粒子が流れているかのよう。
きっと、それは天使存在が介入しているエネルギー。

ネイティブ・アメリカンの大好きな言葉。
「この地球は、子孫からの借り物だ。」
なんと深い叡智が込められている言葉だろうか。
借りたものは大切に使い、そしてより良い状態で返したい。そう、借りたときよりも返すときの方が、もっともっと素敵であったらいい。

私は、そんな精神を持ち続けたいと思う。そして、実行したい。
posted by ミューシャ at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 呟き | 更新情報をチェックする

時の止まった町〜本音

私は、彼女と話すことで分かった。

本音で話す大切さを。

この町で生まれ育った人々の何人かは、話している最中に、その目が変る瞬間があった。
おそらく、子どもの頃は本音で話すことをしていたと思うが、大人になるにつれ、その環境は本音を見せない人間性を造り上げていったのだろう。

そして、私というよそ者が、真っ直ぐな目で本音で話してくる状態に出会い、重い扉で閉じられていた本音の世界が開いたのだと思う。おそらく、今まで出会ったことのない状態。

本音の扉が開かれた人は、その後、惜しみない協力者となっている。

私は、もう怖れない。自分が傷つくことを。他の人々がどう評価しようが、私は私に対して潔いと思う生き方をしたい。
後ろ指を指したければ指すがいい。悪口で引き摺り下ろそうとしたければそうするがいい。
どんな嵐の中でも、私は私の透明な世界を追求し続けるだろう。その歩みが止まることはないのだ。
posted by ミューシャ at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 呟き | 更新情報をチェックする

時の止まった町

今日は、この土地の人の所へ他府県から嫁いで来て10何年にもなるという人と話しをした。けっこう、意気投合。

彼女の場合、この土地の中でも地の人ばかりが集まる古い感覚の中に住んできたという。だから、あまりにも多くの感覚の違いを感じ、戸惑ってきたとのこと。

また、ここの人はまるで仮面を付けているようで、本音で話しが出来ないとも語る。それは、相手は決して本音を出さないし、踏み込まれるのを嫌い、よそ者をよそ者として蔑視する傾向にあるからだと。
だから、嫁いで来た時には、姑から「地味な服を着なさい、目立たないようにしなさい、よけいなことは言うな、よそ者と見られるのが困る」と何度も怒られていたという。
ふと気がつくと、自分は早くおばあさんにでもなってしまったかのように、とんでもなく地味で老けた人間になっていたと。

彼女は、お洒落がしたいと語る。そして、自分の生き方をしたいと語る。整った顔立ち、どことなく上品な雰囲気を持ち、きっとお洒落をしたら、かなり綺麗だろうなと思う。輝ける要素を秘めた人。

そしてまた、もし、自分がこの町から外へ出たとき、ここの雰囲気に慣れてしまっていて、人に対して本音を語れない人間になっていたらどうしようか。そして、自分がこの町に来て敬遠されたのと同じように、本音で語る人を疎ましく思ってしまったらどうしようか・・・・・。そんな心配もしていた。

この土地は、個性を殺す町。個性を嫌う町。そして、新しいことを怖がり、古いことにしがみ付き、それがへんなプライドを増長させている。

「この町は、時が止まっているかのよう。でも、きっと子ども達だけは先に進んでいるんだろうなと思う。」
この彼女の言葉に、きっと、希望があるのかも知れない。
posted by ミューシャ at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 呟き | 更新情報をチェックする