意見書では、「なかには出演者が被告・弁護人の発言や姿勢に対して、明らかに罵詈雑言と思われる言葉を浴びせかけたり、激しいバッシングを加えるようなものもあった」「被告がたんに荒唐無稽で、奇異なことばかり言っているという印象が強調されることとなった」などとし、ほぼ全ての番組が被告側の「荒唐無稽さと異様さ」に反発し、「被害者遺族」に共感する内容だった、と指摘。「画面には、取材し、考察し、表現する者の存在感が恐ろしく希薄である。そのような番組しかなかったことに、委員会は強い危惧を覚えないわけにはいかない」としている。
同委は、市民団体から放送倫理上の問題点を検証するよう求められ、8放送局、20番組、33本の番組を調査していた。
(J−CASTニュースより)
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ふとしたことから目に飛び込んできた記事である。
吾々国民は、如何にメディアの力によって振り回され、真実が見えなくなっているかということだ。一方的に入ってくることを少ししか見ないで決め付けてしまう。メディアの言うことは正しいのだと言わんばかりに。
まるで、今の中国人が叫ぶ短絡的な愛国心の大合唱のよう。
同じJ−CASTニュースには、次のことも書かれてあった。
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判決に先立つ08年4月3日、TBS系のJNNが元少年の被告に面会・取材していたことがわかった。JNNによれば、「死刑もやむを得ないと思う?」という記者の問いに対し、元少年は
「はい。僕は死刑存置主義者ですから。終身刑も検討して欲しいと思っていますけどね。ただ判例として僕が死刑になるのは避けたい。ほかの少年少女の事件にも大きく影響するんですから」
と答えたという。また、「どんな判決を望んでいますか?」という問いに対しては、
「判例になる以上、死刑は受けたくない」
と語ったというのである。少年は、「死刑判決はやむを得ない」としながらも、将来死刑判決を受ける人のことを考えると「先例になるから受けたくない」ということだったらしいのだ。
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いったい吾々の目は何を見て、吾々の耳は何を聞いて答えを出しているというのだろう。自分に接点の無い人間の事など、本当はほんの少しも見えていないというのに。
ただ、今の吾々がしなければならないことは、この事件の成り行きを最後まで見届けることと、網の目を潜るようにしてあらゆる情報を知ろうとすることだろう。
そして、「人間」というものを見つめなおすこと。「人間」という言葉の持つ響きがとてもあたたかく感じられるように歩むこと。

