2008年05月10日

祝福する能力

ディランの「NO DIRECTHON HOME」というDVDはお薦めだ。税込みで2,625円。見ごたえがあって、こんなに安い値段でいいの?と思わず思ってしまった。

そして、今はシュタイナーの教育論へと。本当にディランとシュタイナーは、細胞の隅々まで爽やかな躍動感を与えてくれる。

シュタイナーは、「教育問題は第一義的に教師問題である」とズバリと語っている。

「子どもにとって自分はごく当然の権威でなければならず、子どもがまったく自然に仰ぎ見ることのできる存在でなければならない」

今の教師達の姿はどうであろうか?力で権威を得ようとしているのではないだろうか?子ども達が自然に仰ぎ見ることは出来ない姿なのではないか?
だから、あまりにも教師達の不祥事や犯罪が多い。歪んだ力の蜜の味を覚え乱用する。いったいどれだけの教師達が犯罪を犯したのだろうか?教職に就く人間達にそういう行為の数が多いということは何が原因かを真剣に追求していかねばならないのではないだろうか。

また、シュタイナーは学校は学校であってはならず、予備校でなければならないと語る。

「いかなる学校も、人生という人間にとっての大きな学校に通じる、予備校でなければならないからです。私たちは本当のところ学校では、何かができるようになるためにものを学ぶのではなく、人生からつねに学びとることができるようになることを、そこで学ばねばならないのです。」

そして、次に語ることは最高だ。

「ある特定の年代になったときに、自分の同胞たちに対して幸せをもたらすような、そういう人たちが存在します。このような人たちは――そう言ってよろしいと思うのですが――祝福する能力があるのです。こういう人たちは、何も話す必要はなく、ただそこにいるだけで、その人から祝福が発散します。」

それは何故か?

「もしこのような祝福を与える力のある人間を、その全生涯をとおして観察することができれば、彼らが子ども時代にどのように教育されたかが、くっきりと際立って目につくことでしょう。こういう人たちは、誰かのはっきりした意図のもとに教育を受けたか、あるいは彼ら自身が本能的に特定の教育者、ないしは教師に自分の身をゆだねたか、であります。そして彼らは子ども時代に、畏敬の念をもつことを学ぶように教育を受けたのであり、言葉のもつ広い意味において、高いものを見あげ祈りを捧げることを教えられたのでした。」

その結果として生じることは?

「このような体験があって初めて、人間には下に降りていく力もまた後に生じるのです。つまり始めに、見あげ、尊敬し、権威にすっかり包み込まれることを学んだ者だけが、祝福し、影響を与え、みずから権威となり、それもまったく自然な権威となる可能性を得るのであります。」

今の社会では、教師の子どもが必ずしも優れた人間性を持っているとは言えない。教職間での庇い合い、隠すという行為はよくあること。自然の権威を身に備えている教師が、いったいどれくらい存在しているのだろうか?

また、シュタイナーは、「単なる人生観にとどまるものではない一つの内在的な生のあり方自体が、教育の精神的な根底とならねばならないということであります。」と、語る。

「教師となる場合にも要求される、あの精神的(霊的)な基盤を捜し求め、イマジネーションとインスピレーションとイントゥイション(直覚)から行動する状態へと身をおくように努力し、精神(霊性)によって考えるのではなく、精神(霊性)によって行為する域に達しなければならないのです。」

シュタイナーが語っているこの状態の典型的な人間が、ボブ・ディランだと私は思う。
冒頭に挙げたDVD、絶対にお薦め! 
posted by ミューシャ at 17:17| Comment(10) | TrackBack(0) | 教育 | 更新情報をチェックする