今はシュタイナーの「現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心」という本を読みはじめているのだが、彼の洞察力の鋭さに身が凍るような感じだ。
まだ冒頭部分しか読んでいないが、少し抜粋してみよう。
『科学的思考方式がそれまでの生活秩序の中から取り出せなかったもの、それは科学的思考方式も精神の一種の働きとして、精神世界に根を下ろしている、という意識である。
近代的科学性のこの性格について、支配階級は無視してきた。なぜならその生活は古い伝統で充たされていたからである。
プロレタリアートはそうではなかった。彼らの新しい生活状況は、古い伝統を魂から追い出した。支配階級から遺産として受け取った科学的思考方式が、人間存在を考える上での基礎となった。
しかし彼らの魂の内なるこの「精神内容」は、自分が本当の精神生活から生じたことについては何も知っていなかった。プロレタリアが支配階級から受け取った唯一の精神生活は、精神からの由来を否定していたのである。』
『近代の精神生活は支配階級からプロレタリア的民衆へ移行して行ったが、その際この民衆意識には、精神本来の力が遮断されていたのである。
社会問題を解決する力のことを考えるときには、この点をまず前提にしなければならない。この事情が相変わらず生き続けていく限り、人間社会における精神生活の働きは現在と未来の社会要求の前で、その無力さを暴露されなければならないだろう。事実、プロレタリアートの大部分はそれを無力であると確信している。そしてマルクス主義の信奉者はその確信をはっきり公言してはばからない。』
『プロレタリアでない人は、自分たちが作り出した近代精神生活のイデオロギー的性格の下で苦しんでいないからである。プロレタリアはその下で苦しんでいる。彼らに伝えられた精神生活のこのイデオロギー的性格が、精神そのものを現実的な力を信じさせようとしないのである。
現在の社会状況の混乱から抜け出せる道を見出すためには、この事実を正しく洞察しなければならない。
支配階級の影響の下に、近代の経済形態の成立と共に現われた社会秩序によって、このような道への通路が閉ざされてしまった。われわれはそれを開くための力を獲得しなければならない。
精神生活をイデオロギーと見做す社会生活には、社会有機体を生かす力がないということ、この事実の重大な意味を実感できたときはじめて、われわれは現在の自分の思考を変革しようとするであろう。
現在の社会有機体は精神生活の無力化に病み苦しんでいる。その病状はこの事態を認めたがらないことによって、ますます悪化する。この事態を認めるときこそ、社会運動にふさわしい思考を発展させるための基礎が獲得できる。
現在、プロレタリアは階級意識について語ることで、魂の原動力に触れたと思っている。しかし本当は、そのプロレタリア自身が資本主義経済秩序の中に組み込まれた魂の要求に応えて、人間の尊厳の意識を与えてくれるような精神生活を求めているのである。
イデオロギー的に理解された精神生活では、人間の尊厳を生み出すことができない。
プロレタリアはこのような意識を求めてきた。そしてそれが見出せなかったので、経済生活から生まれた階級意識でそれを代償させて北のである。』
精神生活をイデオロギー的に捉えるのか、捉えないのかは、それによってまさに雲泥の差が生じる。上に行くか、下に行くかというほどに。
そして今もなお、階級意識で代償させるという精神の動きは多くの人びとの中に定着してしまっているのではないだろか。
その階級意識は経済生活から生じたもの。経済形態が変われば人間の意識も変わる。だが、いつまでたっても充たされることのない餓えた欲求は、経済を発展させることに必死で、それによってやがていつかは充たされるのだと妄信しているのだ。そして、さらにその中に求め続けている。
しかし人間は本当は薄々気付いている。今のこの状態が飢えを充たすことにはなり得ないと。だが、認めたくはないのだ。なぜ?
シュタイナーは次のように述べる。
『技術と資本主義の時代は彼らに対して、支配階級に対するのとは別の作用を及ぼした。支配階級はまだ魂を生かすことのできる衝動を持ち、それによって生活秩序を形成してきた。近代の為し遂げた成果をこの生活秩序の枠内で受け取ろうとした。
プロレタリアの魂はこのような生活秩序から引き離されてきた。この生活秩序は、プロレタリアに対しては、人生は人間にふさわしい内容を持っている、とは感じさせてはくれなかった。
科学的思考方式、これだけが人間としての尊厳を感じさせてくれた。それは信仰を目覚めさせる力を持っており、古い生活秩序を超える可能性を与えてくれるように思えた。』
時代背景、その根底に流れてきたもの、状況が人間に及ぼしてきた作用を的確に見ることの大切さを痛感するのである。
何が、どんなことが人間にとって楽に呼吸できることなのか、そして、そのようになるためには精神生活をイデオロギー的に見ることが正しいことなのか、そこから考えることが必要なのではないだろうか。
精神生活というものをどう捉えるかは、ほんとうに経済形態をも変える大きなことのように思えるのである。
2008年07月12日
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なんだかセンチメンタルジャーニー(懐)な気分になりました〜。
とっても、ありがとうございます ですぅ〜♪
センチメンタルジャーニーですか・・・。
ん〜、私にはよくわかりませんが、音楽が流れているようですので、何はともあれ良かったですね。