慌しく忙しかった一日。
いつもは当たり前のことのように思っていたのに、体が動くということの幸せを、心から嬉しいと思った。
空を見たら、青空が、本当に青い空が広がっていた。なぜか、ああ、青い色に戻って良かったと思う不思議な感情が湧きあがってきた。
お風呂に入るとき、今日は、ジャスミンの入浴剤を入れた。花のハーブが入ったものだ。一日の疲れが癒され、新たな思索の感情へとリセットされる。
ふと、満月とジャスミンは合うなと思った。透明で清楚な空間。
午後3時頃が最も円い月だったらしい。これは、午後5時の月。東北東の空。
南西の空に一際明るく輝く星があった。一番星、みーつけた。
同じことでも、人によって、或は状況によって受け取り方が違う。
例えば、林檎が一箱家にあり、更にもう一箱他所から貰ったとする。そこで、ある人は、こんなにあっても食べれないじゃないか、有難迷惑だと思う。また、ある人は、食べるものをこんなに豊富に貰えて有難いことだと感謝する。
神の芸術の中で最も優れたものは愛だと思う。
神の法則の中で最も優れたものは愛だと思う。
感謝するという感情は、愛に比例するのではないだろうか。
善も愛に比例し、美も愛に比例するし、正義も愛に比例する。
物事の捉え方は意識するということから始め、努力し、そして、いつしか自然に愛の中で受け捉えられるように出来たらいいなと思う。
死ぬまで勉強。


昨日は神智学大要の「アストラル体」という本を読んでいましたが
この「同じような・・・」云々について、これは本人が同調する
アストラル階層によって全く別様に見えると書いてありました。
(同調する階層が高くなるにつれて精妙さを増す、云々です)
これは風景に限らず他人に対しても同じで、その人を如何様に見るか
は、結局本人次第かなと。また次の引用は引用元を忘れましたが
逆に意味では、たとえば犯罪者が大自然を眺めるときは、鳥も川も
雲も自分に敵対してくるという。出口王仁三郎も神智学大要と似た
ようなことを物語の38巻第1章に書かれていますね。また少し話が
逸れるかもしれないですが私の好きな歌手の尾崎紀代彦が
「また逢う日まで」の歌にについて「あの歌は何度歌っても毎回
違う様相を示し、まるで怪物のようで何度歌っても歌いきれない歌だ」
と言っていました。
眺める自然、周囲の人間、そして動かす自分の体、一つ一つのものが
日々新たに見える、もしくは発見するというのは本当にすばらしい
ことだなと思いました。
ひつじさん、こんばんは。
最近は本を読んでいる時間があまりなくて、その変わり、自分の心の変化を観察していると言うのか、整理していると言うのか、そんな感じの中で新たな気持ちを見出している状態になっているのですが、でも、面白いものですね。
というのは、どんどん小さな自分になっていってしまっているけれど、何か確かなものが出来上がっているような・・・・・。
また、階層が高くなるにつけ精妙さが増すというご説明。本当だなーと思うと同時に、なんか希望を感じましたし、それに尾崎紀代彦の「また逢う日まで」は、なんか霊界物語と同じだなー、などと思ってもしまいました。
でもでも、またまた、ふと奇妙なことを思ってしまったのです。
まるい地球と光の反射。なんか、人間の心と同じだなと。(笑)
ほんと、自分で自分を最高の芸術作品に創りあげれたらいいなと思います。がんばらなくっちゃと。