そしてこれまで実相をあざむきくらましてきたものや虚栄を放下するようになるでしょう。自我というものがどんなに無智で小さいものであるかが分かるでしょう。その時初めて真理を深く学ぶ心構えができたことになるのです。憎上慢の者には学ぶことができず、謙遜な者のみが真理を学び取ることが分かるでしょう。そのような人の足は堅固な岩に立ち、もはやつまづくこともなく、心定まりて平安となるでありましょう。
「ヒマラヤ聖者の生活探求」 より抜粋
『神は人間に活用される為にある』
この言葉は、再び私の自覚を促した。どれだけ自分の中の神性を目覚めさせることが出来るか。
謙遜であること。謙遜であらねばならないと言い聞かせ、ごくごく自然に謙遜というバラの花を咲かせられるようになりたいと努力する。
自分の醜さは嫌というほど知っている。自分の弱さも嫌というほど知っていて、愚かさも知っている。
それを一つ一つ克服していかなければならない。
この本は、まだ読み始めたばかりだが、とても優しい気持ちにさせる。まるで、自分がピンク色のバラになったかのように。


とうとう「ヒマラヤ聖者の生活探求」読み始めたのですね。
子どもの頃、目にしたときは随分難しい書と思って敬遠して
いましたが、今こうして抜粋された箇所を読んでいて、
おっしゃるようなやさしいイメージに輝いていますね。
入手してから約二ヵ月。やっと、読み始めました。少しずつ、少しずつですので、5巻全てを読み終えるのに、なんとか年内に読み終えられればと思っています。
また、この本は不思議な感じがします。シュタイナーやテレジア、テレーズ、十字架のヨハネなどの持つ空気があったり、ブラヴァッキーや王仁三郎との共通点などなどあり、今までに得て来たものがあるからこそ理解できる、そのように思いました。
それに、文章の綴り方がとてもきれいなのですね。楽に呼吸ができるような気がします。
これから先、どんなことが書かれてあるのか、本当に楽しみです。