第四代の天皇である懿徳天皇。神武天皇の第五皇子であり、豊受姫の異母弟でもある。在位は前510年2月4日〜前477年9月8日。また、ここでも9月8日という日付が出てきたが、その日は聖母マリアの誕生記念の日ともされている。
また、母は饒速日の末娘。饒速日は素佐之男の三男であり、神武天皇の前の大和の王。
天皇家は、最初は末子相続であったという。2代目、3代目は懿徳の二人の兄であるが、神武天皇が高齢でもあり、懿徳がまだ幼少であったために段階的に引き継いでいった。
しかし、末子相続と決められていたのに、いつから長子相続になったのであろうか。伝統伝統、皇室典範皇室典範と言いながら、時代の流れの中で変わってきた制度。
美智子妃が民間から嫁ぐときも、ひどいバッシングの嵐だった。そして、今の皇太子の人格否定発言でも大きく揺れ、相続問題ではこれまた賛否両論の嵐。
今朝の新聞の週刊誌の宣伝文に書かれてあった見出しが目に飛び込んできた。「やはり皇太子にあとを継がせたい 美智子妃の悲痛な思い」
かつて、少しだけ耳にしたことがある。秋篠宮夫妻の男のお子さまが将来天皇になるのであれば、その父君も天皇でなければならないという決まりがあるため、平成天皇の次は秋篠宮殿下が天皇になるかもしれないと。
途中で変化してきた伝統に縛られるのか、それともより人間として納得できる道を選択するのか、まさに大きな大きな分かれ道。私としては、悲しい姿は見たくないのだが。
名前に「徳」のつく天皇は苦難の道を歩まされるという。皇太子もまた、徳仁という御名。
あまり関係はないが、雅子妃の父親は安岡正篤の弟子でもあったという。
出来るものならなんとか皇室に嫁ぐことを避けたかった美智子妃と雅子妃。お二方とも、あまりにも大きすぎる苦労の道へ入らねばならなかった。ただ、唯一の大きな支えは伴侶のみ。
かつて映像で見た美智子妃の涙を堪えるお姿。雅子妃の愛子様誕生のときの記者会見で涙ぐんだお姿。国民の代表として嫁いだともいえるのに、これ以上の苦労や苦痛を与えてもいいものなのだろうか。皇室のあり方は、より人間としての美しい姿へと変わらねばならないのではないだろうか。
2006年09月20日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/24051162
この記事へのトラックバック
http://blog.seesaa.jp/tb/24051162
この記事へのトラックバック

