2006年10月20日

美しく生きること〜麻痺するなかれ

 意図的に人を傷つけようとする言葉の氾濫。傷つく子どもたちは、まだ汚れていない純粋のまま。キモイ、キショイ、臭い、精神病、ブタ・・・・。

 なんという酷い言葉なのだろうか。人に対して向けるべき言葉ではない。人として、口にすべき言葉ではない。

 皇太子の人格否定発言。あれは、雅子妃のことについてだが、その奥にある神の意図に心を寄せたとき、本当は国民たちへの警告でもあったように思う。

 人間存在の否定。それが、言葉の暴力によって行われている。言葉を発すれば、現実に行動となって生じる。善くも悪くも。

 醜い言葉に麻痺している人間たちは、何も思わない。何も感じない。正当な理由をつけて、間違っていることを行い、それが正しいとさえ錯覚してしまっている。

 だから、いつの頃からだろうか、虐められる側にも原因があるから虐められても仕方ないという風潮になり、それが虐め増加への拍車をかけた。

 理由はなんにせよ、いけないことはいけないと教えられない教師や親。理由さえあれば、攻撃してよろしいと追い風を吹かせる。親が親なら、子どもも子ども。情けない血統の増殖。

 人間には妬み嫉みというくらだない感情だけで、人を攻撃対象にしてしまう人も多い。醜い世界の形成。それに、彼ら彼女らは気付かない。粗い波動。

 だが、そういう不浄な世界に身を置いていたとしても、やがて省みることができる日が来たなら、そういう者たちは、美しさを行動に現さなければならない。それが、今まで傷つけてきた人たちへの罪滅ぼしでもあるし、神に赦しを乞うことでもあるし、共に地球人類を美しくさせようとする者たちの仲間となることでもある。

 ネットの世界でも、これだけ罵詈雑言が溢れ返っている。ならば、自分の感じた正しいことを、美しいことを、感動したことを少しでも多く書き続けようと思う。

 そしていつの日か、美しく正しいものが、醜いものを上回ったとき、歯車は勢いよく回転しだすのだろう。

 シュタイナーの言葉を引用して終りたい。

* * * * * * * *


自分自身の霊的完成のために努力することである。人間がこの努力を続けるとき、その行為はすでに宇宙全体のために役立っている。

自分を完全なものにすることは決して利己心のあらわれではない。なぜなら不完全な人間は人類と世界の不完全なしもべであり、完全であればある程、その人は全体のためにより完全な奉仕をすることができるのだから。

「薔薇が自分を美しく飾る時、庭園もまた美化される」という言葉はここにもあてはまる。

この意味で、偉大な世界観の創始者たちは偉大な魔術師でもある。彼らに由来するものが人々の中に流れ込む。

そしてそれによって、人類だけでなく、宇宙全体が進化する。

* * * * * * * * * * 

posted by ミューシャ at 23:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 神、霊 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ミーナさん、こんばわ(^^)

酒の霊に嫌われる?
そんなことはありません!
お酒は少々嗜むくらいなら、健康にいいのです。
我が拝家で、唯一、のんべいである一刀斎ですが、ミーナさんの祈りが強くて、酩酊できません。
さてはて、今回のシュタイナーの言葉は、私が昨日感じた見解と同じだという点で、よく探せるなと感心しました。
偉大な先達であることがよく分かりました。

前回の記事ですが、笑いました。
何故なら、そこに、行動は別にしても、私がいたからです。
私は30代から、純から濁に移行しました。かなり意識的にです。
とはいえ、そうさせられたのかも知れませんが。
様々な世界を見てきました。
裏から表まで、見たような気がします。
しかし、まだまだ、修行がたりんわい!(竹内氏の弁)で、只今、肉体労働者の世界を体験させられているわけです。
ま、1年たちましたが、現場はほぼ制覇!
次はホームレスかも。
波乱万丈の世界が約束されている一刀斎です。
ミーナさんの純な世界が、私の唯一の魂の歯止めです。
Posted by 拝 一刀斎 at 2006年10月21日 02:12
一刀斎さん、おはようございます。

それでは宣り直しましょう。
神様、何卒、一刀斎さんが、体に良い程度の量のお酒の霊に守られますように。

また、ホームレスですか。ひょっとしたら、すっごいお金持ちになるかも。(笑)

私も20歳ぐらいの時、ひょうんなことからホームレスの人たちと会話する機会を得たことがありました。
それに、一時期、本気でホームレスを体験して、その心や、その環境を取り巻く人間たちの心理を洞察してみたいと思ったことがあるのですが、さすが、うら若き乙女には出来ませんでしたね。
まあ、覚悟が足りなかったということなのでしょう。

しかし、私の世界は純なのかなー? 自分では、わかりません。
ただ、人間としてのプライドだけは捨てたくないだけです。
それが、一種の水晶のような透明な支柱となって私を支えてくれているのかも知れません。

それにしても、なんか夕鶴の気分ですね。
誰かのために、機を織るのは楽しいです。

でも、決して、織っているその姿を覗こうとしてはいけません。
そこにあるものは、きっと、それはそれは世にも・・・・・・・・・・・、この後を言うのはやめましょう。
Posted by ミーナ at 2006年10月21日 07:54
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