そして、その古代メキシコシャーマンの流れを汲む、ドン・ファンは次のような言葉を残している。
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人間の目に処理できる機能がふたつある、ひとつには宇宙に流れているエネルギーを詳細に「見る」ことで、もうひとつは「この世界にある事物を眺める」ことだ。
どちらの機能がもう一方よりすぐれているということはないのだが、それでも、ただ眺めるだけのために目を鍛えるのは、恥ずべきで、不必要な損失である。
「時の輪」 より抜粋
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かつての記事の中に、シュタイナーの見解としての死者のための朗読ということについて、本の中に書かれてあることを考え抜きながら読むべきであるということを書いたが、それもまさに霊的なことを示唆している。
冒頭の文章を逆説的に考えるなら、肉体を持っている人間が死者のために本を読んであげようとする意志。その意志は、意志となった時点で、既に宇宙のなかに偏在するエネルギーとなっている。
そのエネルギーに当然の如く、霊体となっている死者たちは反応する。そこで、考え抜きながら読むということは、形になって現われている文章の中に流れているエネルギーを読み取るということであり、死者には著者の意志、著者にそれを書かせた背後に存在する者の意志、そして、読み手が優れていれば、読み手の意志も流れていくことによって理解できるのではないかと思う。
シュタイナーの考え抜きながら読むということの提唱は、ドン・ファンの語る、宇宙に流れている意志を見ることというシャーマンとしての能力を、誰もがみな実行でき、そしてまた獲得できるということである。だから、意外と容易いことなのである。
また、シュタイナーは感情について次のように述べている。
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私たちは感情を霊界においても、身体から離脱した後でも、内的に目覚めさせることができなければなりません。
しかしそれは人間的な感情とまったく同じものではありません。なぜなら人間的な感情は肉体の内部においてしか体験できませんから。しかし、霊界にもそのような感情に対応するものがあります。
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ようするに、霊界においては、現世でのように内なるものを見るのではなく、外なるものを振り返るからである。ここでも、反転の法則を見るのであるが。
どんな些細な事にでも、そこにはエネルギーが存在している。あらゆる種類のエネルギーが。だからこそ、少しでも自分を純化させていく努力を怠ってはならない。
考え抜くということは、読み取るということ。それは、まさに謎解きのようでもあり、この上なく楽しいものである。


なにせ霊を見たというか、幽霊を見たというか、
人生感覚がすっかり変わりました。
私は本を読むとき黙読なんです。声を出す事はほとんどありませんが静かな声で、読んで見たいと思います。
何かが変わるかも知れませんね。有難うございました。
双子の弟さんが心配しているようです。<m(__)m>
インスピレーションが途絶えたことは私も非常に残念です。
シュタイナーによれば、別に大きな声をだす必要はないとのことです。
死者が自分の前に立っているかのように感じながら、内的な思考をすれば、それは死者にとってとても慰めになるとのことです。
死者をごく自然なものとして受け入れ、手助けしていくことは、不思議なことに、自分自身もまた死者たちに手助けしてもらえていることに、やがて気付かれると思いますよ。
そしてまた、このことはシュタイナーも軽く匂わす程度にしか語っていませんが、事実なのです。
頑張ってみて下さい。
>ひつじさん
このテーマは、私にとってはかなり重要なテーマだっただけに、ほんと、泣くに泣けない状態です。
といっても、涙はぽろぽろ出てきてしまいますが・・・・。
それこそ、まったくそれに関してのインスピレーションが動かなくなってしまったのですもの。
でも、やがていつか、違う方面からそのポイントへ到達できることを夢見ていますが・・・・。