(ヘラクレイスト)
「・・・・・心しておかねばならない。もしも魂が不死であるとなれば、その魂についての世話は、ただふつう呼んで、生あるあいだというその限りの時のためではなく、まさに永劫のために必要とされるのだということを。そしてもし人がそれを等閑にしようものなら、まこと恐るべき危険がそこには待ち受けていると、事実、今となっては思われるであろう。」
(プラトンの作品の中でのソクラテスの言葉)
ヘラクレイストの、反対に位置するものが同一のものであるという考え。そして、ソクラテスの不死なる魂についての見解。
人は、霊魂の存在を受け入れて生きるか、それとも否定して生きるかでは、そこには雲泥の差が出来てしまう。
なぜなら、生きるということについての向かい方が根本的に違うからである。
最初の出発点を間違えてはならない。
出口王仁三郎は、一時、まったくの無神論者になった時期があると自伝には書かれてある。しかし、その後は言わずと知れたその歩み。
私も、かつては無神論者であった。しかし、今は決して神を否定など出来ない。そして、真正面から向き合う前とその後では、まったく意識的なものは違うし、そして自分では何も要求していないのだが、歯車が心地よく回転していくのだ。要求しないのに、整えられていく。私はただ、水の流れのように自然にしているだけであるのに。たぶん、これを神の恵みというのかも知れない。
反対に位置するものが、実は同一のものであるという原理。これは、意外といたるところに見られるのかも知れない。

