2007年02月18日

反対のものが同一

「不死なるものが死すべきものであり、死すべきものが不死なるものである。あるものの生は他のものの死であり、あるものの死は他のものの生であるのだから」

(ヘラクレイスト)  



「・・・・・心しておかねばならない。もしも魂が不死であるとなれば、その魂についての世話は、ただふつう呼んで、生あるあいだというその限りの時のためではなく、まさに永劫のために必要とされるのだということを。そしてもし人がそれを等閑にしようものなら、まこと恐るべき危険がそこには待ち受けていると、事実、今となっては思われるであろう。」

(プラトンの作品の中でのソクラテスの言葉)



ヘラクレイストの、反対に位置するものが同一のものであるという考え。そして、ソクラテスの不死なる魂についての見解。

人は、霊魂の存在を受け入れて生きるか、それとも否定して生きるかでは、そこには雲泥の差が出来てしまう。
なぜなら、生きるということについての向かい方が根本的に違うからである。
最初の出発点を間違えてはならない。

出口王仁三郎は、一時、まったくの無神論者になった時期があると自伝には書かれてある。しかし、その後は言わずと知れたその歩み。

私も、かつては無神論者であった。しかし、今は決して神を否定など出来ない。そして、真正面から向き合う前とその後では、まったく意識的なものは違うし、そして自分では何も要求していないのだが、歯車が心地よく回転していくのだ。要求しないのに、整えられていく。私はただ、水の流れのように自然にしているだけであるのに。たぶん、これを神の恵みというのかも知れない。

反対に位置するものが、実は同一のものであるという原理。これは、意外といたるところに見られるのかも知れない。
posted by ミューシャ at 01:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 神、霊 | 更新情報をチェックする
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