あの鳥。ずいぶん前から姿が見えなかった。たまに、どうしたのだろうかと思うこともあったが、忙しいこともあって心の声を投げかけることをしていなかった。
でも、今朝、あることへの答えを聞きたくて、もしそうであるなら姿を見せてと発した。
すると、どうだろうか、あの鳥は姿を見せたのだ。まるで春の日を楽しむかのように、ゆっくりとたおやかに飛んでいた。
そして、やや遠くの畑へと舞い降りた。
その白い体からは、まるで温もりが伝わってくるかのようだった。
私は、今、思っている。
透明な心でありたいと。透明な輝きで、悪なるものや醜いものを遠ざけたい。そして、決して自分の中からそういうものを作り出したくないと。真っ直ぐでありたい。
今の私にとっては、あまり人のことは気にならない。ただ、より高い芸術性を持ったものや人間に目が奪われる。
より高いもの、より透明なもの、より美しいもの・・・・・。そこから何かを学びたい。
2007年03月28日
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そこには以下のようなことが書かれていました。
「少なくとも一日一回高尚な、あるいは神聖な事柄について
考えること。彼の思いが日常生活の茶飯事や雑事から解き放たれる」
シュタイナーも同じ事をどこかで言っていた記憶があります。
人間というものは雑事に振り回されがちな生活を送るものですが
でもそうした環境の中においても、どこかでチャネリングのようなものが
必要ではないかと思いました。
ここ、以下一ヶ月ほど高尚ごとから離れていたことでしたが、
ミューシャさんの書き込みを読んで、また本にも書かれていたことが
偶然重なったので、レスがズレているかもしれませんが
書き込みました。
ほんとうに人間とは、日常の雑事に追われていると、すぐ側でいつでも答えてくれる尊い存在のことを忘れがちになってしまいますね。
これも、人間ということへの傲慢さの表れかも知れません。今後は気をつけたいです。
また、ひつじさんのレスと重なったことがありました。これこそずれているかも知れませんが、パンドラの箱。
蓋を開けると、そこからは苦しみ・憎しみ・不安などが外の世界へ飛び出し、慌てて蓋を閉めた箱の中には希望というものだけが残ったというギリシャ神話の一つ。
苦しみなどは、自分から望まなくても、動かなくても勝手にやって来るが、希望だけは自分から求めない限り得られないということ。
希望を得るためにも、神聖で高尚なことへ毎日少しだけでも意識を向け続けたいと思いました。