2008年03月06日

霊の粒子

気がつけば、もう3月6日。あまりにも慌しい日々の中、なんと固定資産税を払うのをすっかり忘れていて、急いで役場の窓口へ。
これも面白いもので、ぼーっとしていた時に、急にはっと思い出したのだ。固定資産税のこの字も忘れていたので、その時の焦りようったら、ははは・・・・。でも、これもきっと霊界からのフォローだなと。

今日の夕方、久しぶりに書店に立ち寄ってみた。そして、今村光一がスウェデンボルグの霊界著述から最重要ポイントを纏めた「完全版 スウェデンボルグの霊界からの手記」という本を買ってきた。

その後、夕刊を読んでいて驚いた。8歳のときのヘレ・ケラーとサリバン女子の写った写真が見つかったという記事が、写真と共に掲載されていたのだ。

そう、ヘレン・ケラーにとってスウェデンボルグの書は、まさに光そのものだったのだから。

その写真を見る限りでは、決して三重苦などには見えない。まさに、何か偉大な力で守られているかのよう。
そしてサリバン女子の真剣な眼差し。彼女の忍耐と知性と愛に支えれられていたヘレン。

時は過ぎ去り、そして過去のものとなっていても、写真からあふれ出すエネルギーは生き続けている。その時の、霊子は今も尚躍動し続けている。




霊界物語第七十八巻に入った。戦いを前にした朝香比女の胸中。今は、その心の動き、気持ちに同調出来る。

朝香比女は、面白い、愉快だと言う。そして、嵐の前の静けさとでも言うのだろうか、落ち着き払い、心に波風一つ立たない。

私の今回の戦いも同じ質の思いだった。自分の利己的な戦いではなく、まったくの公的な戦い。そして、相手をやっつけようとするものではなく、憎くもない。むしろ、そのことによって相手が傷つくかも知れないということに心は痛んでいた。

だが、間違った方向に流れているものを、正しい流れに導かなければならない。ただ、それだけなのだ。

万全の準備。正しいという確信。物事を正す楽しみ。
その時が来るのが待ち遠しかった。逸る気持ちを抑え、そして愉快で愉快で笑みがこぼれていた。

朝香比女と女男四柱の神々の言葉の音読。独特な雰囲気の中、神々の意志や感情を垣間見れたような感覚を覚えた。



ふと、思い出した物語があった。若草物語。登場人物は四人姉妹だが、私は三姉妹。その末っ子が私。なぜか、この物語が好きでよく読んでいた記憶がある。まさに、幻想曲への誘い。
posted by ミューシャ at 20:42| Comment(4) | TrackBack(1) | | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは、
現実に即した現在進行形での読書は何年たっても
忘れられないものになりますね。神様からの
プレゼントとはそんなものかなと思ったりもしています。
霊界物語の中には現在の自分と通ずる場面が
必ずどこかに見つかります。朝香比女にリンク
出来たとはほんとすごいです!
ちなみに私は物語り後半の泥棒の親分シャカンヌと
リンクしてしまい、それからはどんなときでも悪に
染まるまいと決意したものでした(笑)
Posted by ひつじ at 2008年03月06日 23:00
ひつじさん、おはようございます。

わぁ、泥棒の親分シャカンヌとは!(笑)
能力のある人ほど自分の力に頼ってしまいがちになるというのが人間としての傾向でしょうか。
それだけに悪の誘惑も多い?
でも、やっぱり、ひつじさんがすごいなと思うとところは、覚りが早くて、それを実行し続ける忍耐力でしょうか。

それに比べ、私のように能力の無い人間には、きっと神様が憐れんで、朝香比女のような気持ちにリンクさせてくれるのかも知れませんね。
神様は、本当に公平な法則の中におられるのだなとつくづく思います。
Posted by ミューシャ at 2008年03月07日 07:24
ミューシャさん、こんにちは

シャカンヌとは根は善人であったけれども天の御用を果たすために
一時泥棒に身をやつしたけれども結局は今で言う所の
「大義名分」により嘘をついたということで最後は自殺して
しまうという下りです。これを思うに私たちは「大義名分」という
海の中で暮らしており、良き目的であればということで嘘を働いています。でも目的がどんなに良くても嘘は嘘。
嘘を重ねて行くうちに知らず知らず嘘の持つ利便さに慣れ切って
嘘をつかなくても良い場面でさえ嘘をつくように流されていきます。
私はシャカンヌの自殺によって嘘がいかに大罪であるかを
霊界物語によって知らされました。

嘘も方便という諺は現代人にとってはなんとも都合の良い方便で
ありますが嘘は嘘。シャカンヌの自殺を無駄にしないためにも
絶対に嘘はいかんと思いました。(知らずについた嘘、
結果的に嘘になったことはもちろん別物)嘘も方便は思慮が
足りないからであって、十分思慮に思慮さえ重ねれば嘘を
いわなくても十分事は足りると感じました。

生きている人にだけ与えられた「言霊」。言霊の濁りは嘘によって
始まるとも思えました。言霊の清濁は常日頃の嘘の多さによって
決まるのではないでしょうか?
Posted by ひつじ at 2008年03月07日 16:23
ひつじさん、こんばんは。

シャカンナ。記憶の中から消えていました。ごめんなさい。
私にとっては理解しがたい人物像でした。忠臣であり、賢者であり、強い意志を持っていた人がなぜあのような山賊の親分としての月日を過ごし、なぜ、自殺をしてしまったのか。

最初に持っているものが持っているものだっただけに違う生き方をしてもよかったのではないか、また、シャカンナの自殺は国家にとって大きな損失。自分を責めるよりも、国家のために出来得る限りのことをするのが本来の姿であり、それを理解出来て当然だっただろうにと。

そういえば随分前に、ひつじさんはおっしゃっていましたね。嘘も方便ということは間違っていると。
シャカンナの気持ちにリンクされたことによって理解を深められたのでしょうか。

また、今回のひつじさんのコメントを読ませていただいていて、なるほどなと納得出来ました。
嘘は軸をどんどんぶれさせていきますし、嘘をつかなくても、否、むしろつかない方が物事は正しく真っ直ぐに成就して行くものだなと。
そして、大義名分というものこそ、くだらないこと。役に立たない楯のよう。

本当に言霊を大切にするなら、嘘を言わないということが初歩的なこととなるのかなと。

霊界物語のなかの人物像を、一回の音読でどこまで理解できるかといったら、私の場合、ほんの僅かだなと、またまたドカーンと奈落の底へ突き落とされた感じです。
でもまだ何度でも読めるチャンスはあるのだから、がんばろうっと。

ありがとうございました。
Posted by ミューシャ at 2008年03月07日 20:43
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