霊界物語八十一巻の音読を終えた。
だが、八幡書店から出版されているものは、「山河草木 入蒙記」という特別篇が最後に入っているので、それを読んで終了ということになるかと思われる。
今は、八十一巻を読み終えての感想を書こうと思う。
日本は世界の雛型と言われ、日本列島は五大陸と相応しているとのことだが、特に八十巻、八十一巻では、元来言われている場所とは違うところとも重なり合い、何か幾つもの空間がオーバーラップしているかのような不思議な感覚を覚えた。
それと同時に、大変な動力を要した最後の二巻でもあった。まさに、自分の霊・体の立て直しを図っているかのようでもあり、試されているようでもあった。
音読することにより音霊が飛び出て、実体となり、それが再び自分に返って来る。それを、どう受け止め、どう対処するか。
美なるものも醜なるものも、善なるものも悪なるものも全て己の血の中に内包されている。それをどのように配分させ、抑え、昇華させて行くかということへの直面。
そんな中で八十一巻では指針が次々と示されていく。第五章では、イドムのアヅミ王が「エールス王も主の神の貴の御子なりたゞに許せよ 吾御霊神に離れし罪なれば エールス王を怨むに及ばじ」と、己の罪を認めて改心し、侵略者のサールのエールス王を許している。
また、第十六章では、アヅミ王の娘チンリウが、乳母とその娘センリウの邪悪な奸計により殺されるところだったが、琴平別の化身の亀に救われて次のように歌っている。
「アララギの深き奸計は憎けれど 吾は忘れむ今日を限りに たのみなき人の心を覚りけり 乳母アララギの為せし仕業に センリウは吾身に全くなりすまし 后となりてゑらぎ居るらむ 外国の仇の王の妻となる センリウ姫は憐れなりけり 吾霊魂身体共に汚さるヽ 真際を救ひし彼なりけり かく思へばアララギとても憎まれじ 吾操をば守りたる彼 暫くの栄華の夢を結ばむと 仇に従ふ心の憐れさ 吾は又心の弱きそのまヽに 仇に身魂をまかさむとせし ありがたし神の恵の深くして 吾が身体は汚さずありけり (略)」
人魚達を苦しめ泣かせて流させた涙は真珠となり、その真珠によって美や長寿を得てきたイドム国の国津神達。
私は、思った。人魚は純化された存在。人魚達の犠牲によって得られ保たれてきたもの。人魚の涙がもたらしたもの。その大きさを、その厳格なる力の恐ろしさを、希望を。
また、第十七章では次のようなことが書かれてある。
「悪人の栄えて善人の亡ぶべき例は神代にあらじと思ふ」と歌う、アララギ等の奸計を王に知らせようとしてかえって怒りに触れ島流しにされたサール国の朝月の確信、信念。
そして最後は敵国などということは関係なく、超越し、正義に基づく正しき人々が集い主の神を奉り祈願して国政を布いていく。
奇しくも、光市母子殺害事件判決によって、世の中は混沌とした中から何らかの道しるべを模索しようとし始めている。
朝香比売の火による洗礼、顕津男の神の国魂生み。霊と体共に回転し、大きな聖なる渦を巻き起こす。そして、それは、やっと始ったばかりなのだ。
PS:私の誕生石は真珠。しかし、かつては真珠が嫌いだった。真珠を美しいとは思えなかった。しかし、ある時期から真珠が好きになった。誕生石でよかったと思えるようになった。それは、霊界物語に出会うよりずいぶん前のことではあったが。
また、外国人は真珠の豊富な日本を羨ましがっているという話を聞いたことがある。真珠を欲しがると。
2008年04月24日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/94481146
この記事へのトラックバック
http://blog.seesaa.jp/tb/94481146
この記事へのトラックバック

