光市の事件は、目を向ければ向けるほど、考えれば考えるほどに胸が痛くなる。
被告の元少年は、首吊り自殺をした母の遺体の処理から掃除まで全てを一人で父親にさせられたという。
その時の悲しみや苦しみ、やるせなさ、怒り、絶望・・・・。張り裂けそうな心。それは想像を絶する思い。
こんな酷いことがあっていいものだろうか。
罪として社会では認められない残虐な行為。だから、罰も与えられない。
だが、人を殺せば罪として、それに対して罰を与えることが出来る。
元少年は、自分の生い立ちをなかなか弁護団に語ろうとしなかったという。刑を軽減してもらいたいのだったら最初から言うだろう。それを言わなかったのは、彼には普通に損得を考える能力がなかったということでもあるのではないだろうか。
また、そういう状況の中で生きて来なければならなかった人間の精神状態を、普通の人と同じように考えるのはおかしいのではないだろうか。
そして、彼は安心というものの中に生きたことがない。人として生まれてきたのに、安心できる場所がどこにもなかったのだ。
いったい、彼の人生とはなんだったのだろうか。苦しむ為に生まれ、人を殺し、そして自分も刑法というもので命を奪われる。
私は思う。彼の犯した罪は重い。とても重く軽蔑すべき行為。決して許すことは出来ないこと。
しかし、それでも、ほんの一時でいいから、安心の中で、愛されるということを知ってほしいと願う。人として生まれてきたのだもの。人としての感情を知って欲しいと。
被害者のご主人は戦った。あらゆる種類の苦しみと戦い、世論を動かし、制度の改革へと道を開いた。そして、今、求めてきた死刑を勝ち取った。
だが、それと同時に、元少年を救えるのも彼しかいないのではないだろうか。とても酷な言い方かも知れない。しかし、そう思うのだ。
私は、やはり、それでも元少年のことを思うと涙が溢れ出る。それはきっと、子どもを持つ母だからかも知れない。不条理なことで子ども達を傷付けられ、それに対して戦ってきた母親だからかも知れない。
許すということが、最終的には自分も子ども達も救うということ知っているからかも知れない。
そして、刑法とは、犯した罪に対して無表情に機械的に判決を下すという事が正しいとは思えないのだ。
2008年04月25日
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事件の背景、彼の生い立ち、そういうことを知れば知るほど
この事件の語りかけるものは。重いと思います。
被害者のご主人が申したように三人の命を絶対犬死に
させてはいけないと思いました。個々人がこの事件を教訓に
今出来ることから始めなければ・・・。
犬死・・・・。元少年に死刑判決が下され、そして弁護側が上告したとしても、それは棄却される可能性が高いという状況の中、それでも、私は元少年が死刑ということに納得が出来ないでいます。
二人の被害者は、今、この世に居ない。しかし、元少年は、今、この世に生きている。生きている人間を犬死させてはいけないと、刑が執行されることを、死なすということを前提に話しがどんどん進められていく世の中の有り様が、何かひどく悲しく、何かが矛盾しているように思えてならないのです。
被告が犯した罪は、あまりにも残虐非道なこと。許してはならない罪。それも確かなこと。
しかし、それでも人間であることに変りはないのに、法というものでその命は消される。
人間って、いったい何なのでしょうね。法で命を奪ってもよいものなのでしょうか。
死刑が執行されれば、人々の記憶からもその事件のことは薄れていくでしょう。希望のないものとして消えてしまうような気がします。
しかし、生きて罪を償う姿があるなら、人々は何をすべきか、何をどうしたらいいのかと考え続けるのではないでしょうか。
今日、ボブ・ディランの詞を見ていました。『Ain't Talkin』という歌の中に、次のような詞が綴られています。
―――――――――――――――――――
祈りには助けとなる力が備わっているらしい
そこで母から祈ろう
人の心の中にも邪悪な精神が住みつくことができる
私は隣人を愛し、他人にも親切にしようとしている
でもああ、母よ、ものごとはうまくいかないのです
喋ったりしていない、ただ歩いているだけ
あなたが渡れなくなるように
わたしはあの橋を焼き落としてしまおう
燃え尽きてしまいそうな心は、今も激しく求めている
ひとたび堕落すれば、もう誰もあなたに情けはかけてくれない
(略)
わたしの忠臣たち、こよなく愛されている仲間たちみんな
彼らはわたしを是認してくれ、
わたしの規範を分かち合ってくれる
わたしはうんと長い間見捨てられたままだった
信義に基づいて行動している
この長く孤独な旅路にはどんな祭壇も待ち受けてはいない
(略)
空は明るく、車が飛ぶように走っている
名声とほまれは決して
色褪せ消え去ってしまわないように思える
炎は消えても光がなくなることは決してない
私は天の助けを得ることができないと
いったい誰が言うのか?
(略)
苦しみに終りはなく
どんな片隅でも裂け目でも、
いたるところくまなく涙が潜んでいる
わたしはふざけてはいないし、ふりもしていない
持たなくてもいいような不安など
わたしは心の中に決して抱え込んではいない
喋ったりしていない、ただ歩いているだけ
あの夜からというものずっと歩いている
燃え尽きてしまいそうな心は、今も激しく求めている
わたしの姿かたちが
まったく見えなくなってしまうまで歩いている
―――――――――――――――――――
一部抜粋しましたが、犯罪を犯せば歩くことすら許されないものなのでしょうか。
そして、本当に変らなければならないのは、普通の顔をして、良識のあるふりをしながら、偏見に満ちた目をぎらぎらさせて利己的に生きている多くの人間達。
また、被害者の家族が遊んだり幸せそうな顔をしていることを何か悪いことでもしているかのように見る世間の人々が多く居るという状態。
犯罪は今の歪んだ社会が生み出してしまうもの。だからこそ、ひつじさんがおっしゃるように、個々人が今出来ることから始めなければならないということに同感です。
それと同時に、私は、元少年の命が救われることに希望を持ちたいです。