2008年05月02日

霊界物語完読

今日の夕刻6時13分頃、霊界物語全巻を音読し終えた。その後、7時のニュースで、ダライラマの特使と中国政府とが話し合いを行うことになったということについて流れていた。
また、オリンピックの聖火リレーが中国の最初の地、香港で行われた日でもあった。

この書を手にしてからどのぐらいだろうか、4、5年ぐらいだろうか。なかなか本気で最後まで読もうという気になれなかったのだが、ある時、覚悟を決めた。最後まで音読しようと。
それからは長かったような短かったような、どちらともつかない感じがする。

また、最後の音読の巻であった入蒙記。これを読んでいる時、夢を見るのだが内容を憶えていない、しかし、登場人物の名や地名は夢の中で復唱されていたのだ。
まるで、大海原の中、海中を漂っているような感覚を目覚めの時に感じていた。

そしてまた、入蒙記の中では、出口王仁三郎自身が見た夢とそれについての解釈も述べられていたが、私自身、ひつじさんという方に出会えて、そして解釈をして頂いているということに神の恩恵を深く感じたものである。

それからひつじさんには、霊界物語を読む上で、時々さりげないフォローや気付きへの導きの示唆を頂いて、本当に心から感謝しています。

おそらく、一人だけだったなら最後まで完読出来たかどうかは分からない。間違った受け取り方や自分の中の傲慢性に火がついたら、それこそ物語を読まない方が良かったということにでもなっていただろう。
これに関しても、私のようなど素人に気長に付き合って下さった方がいたということは、やはり神の恩恵に感謝せざるを得ないのである。

また、面白いことに、霊界物語を読み進めていく上でいくつものシンクロが起きたこと。そして、そのシンクロによってより深く入り込むことも出来た。

そして、音読するということが ―――真摯に無心に音読し、その物語の中に入り込むことによって――― 何か歯車が動き出すのを感じた。

出口王仁三郎が、霊界物語を不屈の精神を持って最後まで読むようにと言っていたとのことであるが、たぶん、それは「動く」のだ。そう、感じた。

また、入蒙余禄では、開祖の次男とその娘蘿龍のことについて書かれてあったが、貫かれた血統というものを心が痛いほどに感じた。
そしてまた、私の夢の中を復唱されていた人物、白凌閣。その二人の信念と勇猛心に心が洗われ、そして奮い立たされるようでもあった。

この八十一巻八十三冊という膨大な書。長く、そして話しが前後していたりするので一度だけでは把握しきれない。
また、いつかもう一度読みたいと思う。
posted by ミューシャ at 23:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
霊界物語後日談

完読、本当にお疲れ様でした。これに費やした労力は
きっと報われている(いた?)と思います。読書は本当に
多くのエネルギーを費やしますので大変です。読書の代わりに
何か有意義な活動でもすれば得との思いに駆られますが、
それゆえに読書の持つ意味は大きいと思います。
枡添大臣も若いころから読書家であったと聞きます。
国語力を鍛える意味でも、さもありなんでしょうか。

ましては霊界物語、 霊界物語についてはこれを読んだ
多くの人が良い書物との意見を持っておられ
私も良い本と思います。そこで何ゆえ良い本であるのか
完読したお祝いに(笑)私なりにも少し書き込んでみます。
長くはなりますが(笑)

ミューシャさんも完読してお気づきと思いますが
各章、各巻のほとんど、いや全部が不思議なことに
ハッピーエンドに終わっているという点です。
そのこと王仁三郎は後日談として次のように
語られています。要約すると、物語には悲惨な出来事、
汚い部分、希望のない内容は書いていない。
意味もないし、あえて外した。というのが彼の言葉です。

とかく真実を求めようとする我々は全てを知りたいが故に
削除はもってのほかと思いますが、実はこれには深いわけが
あります。スウェーデンボルグもその著書霊界日記に
書かかれているように(霊的な)善人と悪人の見分け方は
「善人の思考や観念は悪で始まっても結局は善で終わる、
悪人のそれは善で始まっても結局は悪で終わる」
霊界物語のそれぞれの談は悪で始まることが多いですが
途中物語の登場人物が改心して善で終わっています。
部分的に見ればメデタシメデタシですがそのメデタシは
天使善霊が憑いている故のメデタシ。私にはこの
ハッピーエンドで終わるのが天界法則と思いました(笑)

聖テレジアも似たようなことをその著書に書かれています。
要約すれば、その書物の中に良き事を発見できれば
それは書いた私によるのでなく、神様が読者に良きことを
見せようとしてなさったこと。悪いことは全ては自分に
起因する(自分に起因というのは、ま、謙遜でしょうが)

以上から、物語のハッピーエンド、スウェーデンボルグ
聖テレジアらが言うところからは神様は
「ハッピーエンド」を好まれる。ではないかと思います。
我々が良く言うところのプラス思考も善霊・天人の
なせる技かなと。

これと逆の姿は私たちの身の回りに随所にあります。
始めは誉めておいて段々悪いものを見せ、最後は反省させる。
マスコミメディアは連日のように凶悪事件の放映
(もっとも良いニュースもあるでしょう、また事件ばかり
見るほうも悪いと言う見方もありますが)
大方は善に見せかけて(人のために役に立つ報道に
みせかけて)、見れば見るほどに無意識的に人心腐敗を
広めて行く・・・。どうも印刷物(マスコミ・メディア)は
(霊的)悪が牛耳っているように思われます。

また、これはありきたりですが、たとえば真実を見よ見よと
奇麗事を述べますが、その見せられた真実は悪や汚いもの
が多いです。悪や汚いものに向かう真実は同様に
(霊的な)悪人が支配されているのではと思います。

霊界物語がそうであるようにハッピーエンドに向かうと
いうことは(霊的な)善人・神様が支配されているということで
本当に大切なことではないかと思いました。
書物・人の意見・メデイアもどちらに向かうかによって
色々と面白いです。始めは悲惨でもハッピーエンドに
向かう霊界物語は間違いなく神の書であるなと思いました。
キッパリ(笑)
Posted by ひつじ at 2008年05月03日 10:47
ひつじさん、素適なお祝いをありがとうございました。

終わりがハッピーエンドで終っているということ、言われて見てはっきり確信するという相変わらず昼行灯の桜子です。
でも、だからこそ、これだけ長い物語にも関わらず、後味が悪いということがなかったんですね。(納得)

それに、改心の連続なので、なんか読んでいてスカッとしますし、希望を持ち続けて努力することの愉快さというものも感じました。

また、マイナス思考でいるよりプラス思考でいる方がどれだけ精神的に楽か知れませんものね。なるべくそうであるように、これまた努力して行きたいところです。

そうそう、印刷物についてはシュタイナーも述べていましたっけ。
さーてと、再びシュタイナーベースへと戻ろうかと思います。彼の書も膨大なので、金太郎飴みたいに次から次へと現れて有意義な気付きが得られることでしょう。

また、霊界物語もいつか再び読み直したいと思っていますが、本当に素晴らしい書に出会えたことは、わが人生にとって貴重なものとなりました。

それから、世の中には出口王仁三郎の真似をしたがる人もいるようですが、この霊界物語を読み終えたなら、それが如何に薄っぺらなものであるのかも歴然として分かりますし、あまりにも滑稽なものとして目に映るのですから面白いものです。

愛と善に基づく確信。そのあまりにも深い人類愛から形成されていた人間王仁三郎。
その許容量の大きさの前には、自分がまるでただの小さな点のよう。
本当に見習うところが多すぎて、楽しくなってしまいます。

これからは、更にバンバン行けるように頑張りたいと思います。今後とも、よろしくお願いいたします。
Posted by ミューシャ at 2008年05月03日 12:58
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/95446237

この記事へのトラックバック