2009年11月07日

京都御所

天皇陛下御在位20周年記念ということで、11月1日〜10日まで、京都御所では、例年の公開範囲に加えて、北側の殿舎である皇后常御殿、飛香舎、若宮・姫宮御殿も公開されている。



今日は天気の良い土曜日ということもあって、大勢の参観者訪れていた。

まず、入り口となっている宜秋門のところで荷物チャックを受けてから中へと入った。

そして、宜秋門を入ってすぐに御車寄がある。ここは、昇殿を許された者が正式に参内するときの玄関である。
御車寄





次に諸大夫の間。正式に参内した者の控えの間で、身分の上下によって異なった部屋に控えた。格の高い順に、襖の絵にちなんで、「虎の間」、「鶴の間」、「桜の間」と呼ばれている。

「桜の間」には、昭和天皇が即位されたときに使われたものが展示されていた。
DSC03837.JPG   DSC03835.JPG



また、「虎の間」に描かれている虎のうちの一匹が可愛かったのでパチリ!
諸大夫の間





そして、新御車寄の所へ来たら、なんと、雅楽の演奏が始まるところだった。大勢人垣が出来ていたので、隙間から少ししか見えなかったが、その雅楽を聴きながら、先へと進んで行った。




建礼門

建礼門






紫宸殿

紫宸殿





右近の橘

右近の橘

うっかりして、左近の桜を撮ってくるのを忘れてしまった。




次に清涼殿へと進んで行った。その名の如く、そこへ入ったとたんに爽やかな涼しさを感じた。
ここは、平安時代には天皇が日常の御生活の場として使用された。また、ここには石灰壇というところがあって、そこから伊勢神宮等を遥拝されたという。
清涼殿





御池庭

御池庭





御常御殿

御常御殿の中の襖の一つ

ここは、室町時代以降、天皇が日常のお住いとして使用された。





さて、ここからは、今回だけの特別公開の場所。

皇后宮常御殿   DSC03853.JPG

皇后常御殿

16世紀の終わり頃から、女御あるいは皇后の日常のお住いとして造営された。内部は13室からなる。





飛香舎   DSC03856.JPG

飛香舎

女御入内の儀式が執り行われた建物であるが、元来は、女御が日常過ごしていた所である。




若宮・姫宮御殿   DSC03859.JPG

若宮・姫御殿

皇子・皇女の御殿で、明治天皇が一時お住いになった。




そして、見学を終えて、清涼門から出た。

その後、京都御所へ来るときに気になった所があったので、もう一度、そこへ戻った。

それは、御所の西側に位置するところにあった。縣井である。
縣宮   DSC03862.JPG






日本は今、民主党政権になってから大混乱へと向かっている。小沢一郎、鳩山総理という裏と表のトップがカネの疑惑で警察から調べられている。
正しく、優れた政治手腕を持つ者だけが政治家となれる、そんな世の中になることを祈りたい。
posted by ミューシャ at 23:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年09月20日

神居ます山

奈良県西吉野銀峯山山頂に在る波宝神社へ参拝して来た。今回もまた、前夜遅くに急遽決まった行き先であった。
最終的に、敦賀の気比神社にしようか、奈良の丹生川上神社中社にしょうかという段階になって、私の視界に入ってきたのが波宝神社だった。


車のすれ違いが出来ないほどの狭い山道を上って行った。夜だとか雨や霧が出ていたら、おそらく崖から落ちてしまうのではないだろうかというほどの危ない箇所もあったが、今日は幸いにして良い天気であった。
また、帰りは十日市方面へ出る道を降りていったが、そちらの方がまだ通り易い道であった。



そして、やっと波宝神社へ着いた。

展望

最初の鳥居の前から見える展望


鳥居



DSC03786.JPG

昔は古田大神とか、神蔵大神と呼ばれていたということなので、たぶん、「神蔵大明神」と読むのだろう。


この鳥居から先は、かなりの急勾配の坂道が続いている。はやり、車のすれ違いは出来ない道。
また、本殿の前までいくと、数台分の駐車スペースがあった。


波宝神社一



波宝神社二



由緒説明

波宝神社についての説明



DSC03767.JPG

御祭神は神功皇后と住吉大神



波宝神社本殿



太陽と三羽鶴

本殿正面に描かれていた太陽と三羽鶴



太陽と三羽鶴と波

同じく本殿正面に描かれている絵



本殿

本殿の造り



雲と波



白馬

飾られていた絵の一つである白馬の絵






みんなが居なくなって一人だけで本殿に向かい合っていたとき、どこからともなく一匹の蝶がやって来た。いつまでも私の周りを語りかけるように飛んでいたので、カメラを向けたら地上に降りてポーズをとってくれた。
一羽の蝶

たぶん、ジャノメチョウ科のオオヒカゲという蝶に似ている




有栖川宮韶仁親王祈願所

有栖川宮韶仁親王祈願所



有栖川宮家寄贈の貴賓殿

有栖川宮家寄贈の貴賓殿の屋根





帰途についているとき、ふと、気がついた。今回はビデオを撮っていなかったことに。
また、波宝神社はきれいに掃き清められていて、とても閑静な佇まいをしていた。
最近、私は大きな神社よりも、このような神宿る山と一体化した神社に心惹かれるのだ。
posted by ミューシャ at 21:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年08月20日

熊野大社〜出雲

出雲の熊野大社について記そう。

創祀は斉明5年(659)と、日本書紀では伝えている。そして、昔は出雲大社より神階は上位にあった。そして、熊野山は『元宮ヶ成』と称しており、古代祭祀の巨大な磐座がある。また、かつては「厳神の宮」と讃えられており、ここに元宮があった。
尚、熊野山は今は天狗山といわれているが、この天狗山という名前も、もともとは天宮山と書かれていたのではないかといわれている。

御祭神は、素戔鳴尊である。

『出雲風土記』は、クマクマシクして神が鎮まるのに適しい処を「熊」と名づけて聖地とみなしている。
神稲・神代はクマシロとも訓み、神=クマ=カミであり、更にクマが転じてクモとなる。

火は霊(ヒ)であり、出雲国造は、熊野大社の神火を戴くことによって、初めて神性国造りとしてその職を襲うことが出来る。これを、出雲国造の霊継と言う。

また、毎年10月15日、出雲国造(出雲大社宮司)がこの熊野大社に参考し、自らが出雲大社で用いる神器、ヒキリウス、ヒキリキネを拝戴する鑽火祭が斎行される。



出雲は火の国。今回の旅行で、素戔鳴尊だらけの出雲を実感してきたようだ。
posted by ミューシャ at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年08月19日

弾圧は思いを破壊できない

八雲山の山頂には、官憲によって破壊された出口王仁三郎の歌碑の残骸が重ねられてあった。再び、ここでも当時の弾圧の凄まじさを窺い知ることとなった。

歌碑の残骸




また、昭和八年10月10日の歌碑建設当初は、次ぎのような状態であったようだ。
     ↓
http://onido.onisavulo.jp/opl/data/0509.html



千早ぶる 神の聖跡を したひつつ 八雲の山に 吾が来つるかも

八雲立つ 出雲の歌の 生まれたる 須賀の皇居の 八重垣のあと

大山は み空に霞み 海は光る 出雲の国は 錦の秋なり



この三首が書かれた歌碑建設。




スサノオの御陵である熊山遺跡へ詣でた。
坤の金神が隠退されていた神島を詣でた。
スサノオの新居であった八雲山を訪れた。

熊野古道にあった、信者の一人が命を賭けて守り通した王仁三郎の歌碑を見た。そして、八雲山の破壊された歌碑を見た。
大本の天恩郷にあった破壊された伊都能売観音坐像などを見た。耀わんや書画を実際にこの目で見た。

あまりにも沢山の思いに出会った。

弾圧によって王仁三郎の作ったものの多くは破壊されたが、その思いはまるで龍のように生きている。それは、大きく大きく、強く強く、あまりにもやさしい。

そして、素戔鳴尊を受肉した王仁三郎が、素戔鳴尊をこの世に顕現させたのである。

だから、われわれ日本人は、日本人として生まれてきたこの幸運の中で、その思いに触れ、精神を培い、行動していかなければならない。

破壊されても、そこに込められた思いは大きく大きく漂っている。その場に息づいている。だから、大切に真摯に謙虚に向かうのである。
posted by ミューシャ at 10:54| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年08月17日

八雲〜前回の続き

なんと、ディスク容量が足りなくなって申請したら、すぐに追加してくれた。seesaaブログは最高!ありがとうございます。

さてさて、出雲からの帰途、大山の頂上に一塊の雲があり、とにかくずーっと動かないのであった。パーキングエリアで休憩を取った後もまだある。そこで、写真を撮ってみた。

大山の雲




そして、再び高速を走っていると、またまた面白い雲が。なーんか、巨大な真っ白な鯉という感じ。
白い鯉?




なんか、旅行記をまとめてみると、八雲というだけあって雲に縁があったような。あれ?そういえば出雲大社の御本殿の天井には「八雲之図」という絵が描かれていたっけ。
どおりで晴れ女の私が雨に好かれた訳か。ははは。。。なーんてね。失礼しました。
posted by ミューシャ at 17:13| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

出雲紀行

出雲へ旅行へ行ってきた。
今回もまた行き先は、あれよあれよという間に決められていった。


子どもがどこか自然の多いところへ行きたいと言う。夫は仕事が忙しいのでたぶんいけないだろうから、バスツアーにしようかということになり、上の子が調べ始めた。とりあえず、二人の子どもと私の三人のスケジュールが合うときとの8月15日、16日で探し始めた。

そして、子どもがピックアップしてきたところは島根。出雲大社・石見銀山・須佐神社・八雲風穴というコース。


なるほど、ちょっと面白そう。そこでいいだろうということで決定。
上の子に理由を聞くと、なぜだかわからないけれど、昔から島根に行きたかった。そして、島根だったらどこでもよかった。と言う。
ん〜、何かの因縁か。そこで、私は昔の写真を引っ張り出してきた。
そうしたら、ちょうど20年前の夏に出雲を訪れていた。上の子が生後九ヶ月の時に。

あの時、出雲大社の「おくにかえり館」の前で、ベビーカーに乗せた子どもと共に立ち止まっていたら、事務の方らしき人が、「赤ちゃんが暑いでしょうから中で涼んでおいきなさい。」と声をかけてくれた。そして、エアコンの効いたロビーで冷たいお茶まで出してくれたのである。
何か、上の子と出雲は縁があるのかもしれない。

また、子どもは、島根の中でも私が好きそうな場所をピックアップしたようであった。

もう時間がないので、早くバスツアーの申し込みをしようと思ったが、それでも念のために夫が帰宅してから聞いてみることにした。

すると、なんと、今年はその日は休めるだろうとのこと。それなら一緒のバスツアーにしようと。
そして、集合時間を見た。なんと、集合場所が少し遠い為、電車の時間がなくて間に合わないことが判明。

そこで、車で行くことになった。
また、泊まるとことろも上の子に任せた。

そして・・・・・、宿泊場所を見た。なんと、お寺の境内に面したお宿。確かに部屋も二間つづきで綺麗そう。そしてライトアップされた五重の塔もすぐ目の前に見えるし、なかなか趣向を凝らした精進料理の懐石。
しかし、問題は8月15日という日。残り一部屋。とりあえず、予約。しかし、私はどうも気乗りがしない。

そこで、今度は私が宿を探し始めた。確か須佐神社とかいう神社があったけれど、その名の通りスサノオ縁のところかなと。
そのあたりを調べてみると、なんとよさそうな温泉宿があるではないか。
早速、電話。
しかし、やはり予約で満室。

でもでも、さらにどこかないかと出雲を調べ始めた。

すると、須我神社、八雲山という存在にハタと気づく。
いーじゃないの、いーじゃないの。行きたいなー。

そこで八雲山の近くにある素適な温泉宿を見つけた。
ネットで調べると残り一部屋。即、予約。
ということで、お寺の宿はキャンセル。

さー、ここからが私のプランとなっていくのであった。
また、上の子は教えてくれた。出雲大社は60年ぶりの大遷宮で、御本殿の大屋根特別拝観というのを8月16日まで行っているとのこと。まさに、グッドタイミング。予約をした。




15日早朝に出発。渋滞もなくスムーズに進んでいった。
これなら、早く着ける。


そして、ああ、あれが大山かと山を見て、スサノオの八岐大蛇退治を思う。
大山




が、それから間もなくして、米子ジャンクションで夫は何を思ったのか、松江方面と書いてあるにも関わらず、しかも、私が一生懸命に松江は左に入るんだと言う言葉も無視し、皆生温泉と書いてあるほうへ車を走らせてしまった。
仕方がないので、キリのいいところでUターン。しかし、再び、何を思ったのか、松江方面の道路には乗らず、今来た高速道路を戻ってしまった。

なんと、また大山まで来てしまった。そして、一旦、大山で降り、Uターン。夫にしては珍しいミス。

その後は、とりあえずスムーズに行く。
しかし、なんと、雨が降り出した。これでは山へは登れないかなと少し心配。




まずは、熊野大社へ参拝。和歌山の熊野大社は有名であるが、こちらが元であるとのこと。

熊野大社1


説明


熊野大社2


熊野大社3







次に八雲山へ。
まだ、雨の振り方も弱かったので、とりあえず登ることにした。まあ、真夏の照りつけるような暑い日ざしでなかっただけ良かったのかも知れない。

少し登ったところにある、『神泉坂根水』という不老長寿の水で身を清める。
神泉坂根水


動画でお清めを





奥の宮入り口

奥の宮入り口




歌碑の立ち並ぶ階段を上っていく

夫婦岩へ続く階段




歌碑の一つ

歌碑




そして、夫婦岩。須佐之男命、稲田比売命、清之湯山主三名狭漏彦八島を祀っている。
夫婦岩





後ろの方にも回ってみた。そうしたら急に、

「お父さん」

そんな思いが湧いてきた。




さて、ここから先の登山が大変であった。道が草で埋もれていてよく分からないし、所々、倒れた木が道を塞いでいる。しかも、雨で道は滑りやすく、蚊は多い。
家族は、もう引き返そうと言う。挙句の果てに、夏だから私の嫌いな蛇も出ると脅してくる。

が、そこでへこたれる私ではなかった。
「一人で行けば」
「あ、そ。じゃあ、行ってくるわ。」

すたこらさっさ。

私は、どんどん登っていく。後ろを見ると、なんと、夫の姿が。でも、子ども達は麓へ引き返したようだ。
飛んで火に入る夏の虫とはこのこと。

「巨大な蜘蛛の巣が沢山あるから先へいってくれない?」
しめしめ、夫を楯に私は優雅に行く。

すると、いきなり、
「わー!」
声と共に、後ろへ勢いよく後ずさりしてくるではないか。

「な、な、な、何があったの!毒蛇?熊?」

「大きな蜂だ!刺されたら危ないぞ!」

どうやらスズメバチか、クマンバチがいたようだ。

「なーんだ蜂?大丈夫よ。私は蜂と仲好しだから。それに、こちらが敵意を持たなければ刺してこないわよ。」

「何を言っているんだ。刺されたら死ぬかも知れないんだぞ。」

「あーあ、また位山の再来か・・・・」

しかし、様子を窺っていた夫は意を決したようだった。しばらくして、登り始めた。




そして、とうとう頂上!
なんと、雨は止んでくれました。

八雲山頂1


八雲山頂歌碑


八雲山頂説明




三角地点

八雲三角地点




山頂からの眺め。あいにくの天気の為、見晴らしは今一。それでも、雨は止んでくれたので、展望を少し望めた。
山頂からの眺め







そこへ、一匹の紋黄蝶がふわりふわりと飛んできた。雨上がりの緑の中で鮮やかな黄色が美しい。
八雲山 蝶





そして、下山してから須我神社へ。

須我神社1



歌碑



須我神社2





さて、その後は温泉宿へ。そこの温泉は1300年前から出ているとのこと。
庭園を望む部屋。
宿の庭
部屋の床の間には掛け軸がかけられており、壷や絵皿が置かれ、百合の花が活けられてある立派な部屋であった。



翌日は、まず最初に八雲風穴へ。
八雲風穴


中は、なんと9度。天然クーラーですね。




そして、出雲大社へ。
出雲大社



写真の御仮殿の後ろが御本殿であるが、平成の大遷宮の為にすでに周りは白い建物で覆われている。そして、大遷宮の間、神様は御仮殿に移されている。
また、その白い建物は三階まで階段が続いているが、8月16日までの23日間はそこを拝観できることになっていた。

大屋根をすぐ目の前で見たときの感想はというと、ただただ圧倒された。何層にも重ねられた檜皮。大きい。どっしりとして、支えてくれていた。そんな気持ちが湧いてきた。
また、柱の木からは60年経った今でも松脂が滲み出ており、木が生きていることを目の当たりにする。

そして、御本殿の階段、扉、壁・・・・。神職の方々の真摯な思い、真摯なご奉仕の姿勢が浸み込んでいる。見る側にまで伝わる心地よい緊迫感。

この60年間、支えていてくれた。様々な激変の中をしっかり支えていてくれた。その感謝の気持ちで一杯になった。御本殿の周りを降りてくるとき、私は「ありがとうございました」の言葉を何度となく心の中で呟いていた。

そして、次の遷宮の時、私はもうこの世にはいない。一生に一度、出会えた出雲大社の大遷宮。
これからの60年間は、どのように世の中が動いていくのだろうか。よりよい国、よりよい世界へなることを祈って止まないのである。




そして、帰途へ付いた。
だが、お昼を食べていなかったので、どこかで出雲蕎麦を食べようということになった。しかし、時間が時間の為、準備中。
結局、一時間ほど車を走らせて、再び出雲大社へと戻り、その近くの店で食べることになった。
離れがたい出雲なのかも知れない。
出雲大社は、やはり大きい。大きくて圧倒される。

お守りを買ったとき入れてくれた袋には皇后陛下の御歌が書かれてあった。

     出雲大社に詣でて
     国譲り 祀られましし 大神の
     奇しき御業を 偲びて止まず

やはり、皇后陛下は素晴らしい方であると思った。




今回の旅では多くの人と声を交わした。そして、みんな良い人ばかりとの出会いであった。
あまりにもやさしくて、あまりにも素敵なところで、ずっとそこに留まりたいと思った。
posted by ミューシャ at 16:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年05月04日

熊野〜心の旅路

小旅行に出かけてきた。

ルートは、十津川 〜 熊野那智大社 〜 近露王子 〜 高野龍神スカイライン

朝から晴天。ただ、不思議なことに出かける前、縺れた2本のヒモと1本のチェーンを解くことに遭遇。まあ、熊野三山だから、これも何かの示唆かと軽く受け止めた。

写真をUP。


十津川

十津川

とてもきれいな川。現実の姿と水面に写る姿。しばし時を忘れ、思いを馳せる。もう少し走ったところには、ピンク色の桜が咲いていた。



青岸寺と瀧

熊野那智大社にある青岸渡寺と那智の御瀧




竹の子

竹の子or竹?

青岸渡寺から那智の御瀧のある飛瀧神社行く途中で見かけた、脱皮突入段階の竹。



伏し拝み

伏し拝み

那智の御瀧の遥拝所として守られて来た聖地。写真を撮ろうとした時、どこからともなく小さな黒い三匹の蝶が、縦一列に並んで舞って来た。



那智の御瀧シリーズ


那智の御瀧1


那智の御瀧2


那智の御瀧3


那智の御瀧4


那智の御瀧5




那智の御瀧のビデオ。映像を横に撮ってしまったので、寝観音になって見てくださいませ。




次は近露王子。
近露は、花山天皇が本宮の手前最後の宿泊所とされた場所。また、『近露』という名の由来は、箸折峠で花山天皇がカヤを折って箸にしたとき、カヤの軸が赤いのに驚いて「血か露か」と問うたことが由来となった。

そして、この『近露王子之跡』と書かれた石碑には、なかなか興味深い経過がある。下にUPした説明書きの写真ををクリックすれば大きく表示されるので御覧下さい。


説明書き

石碑の説明書き





近露王子の石碑

石碑


たぶん、光の悪戯だろうと思うが、王という文字の一番下の線の右側が赤くなって写真に写っている。撮ったあとに写真の確認をした時、思わず近露の由来に意識が向けられた。



近露王子の石碑

石碑を拡大して撮ってみた




石碑の裏

石碑の裏側



説明書きにもある横矢氏の家系について、少し記しておこうと思う。元は野長瀬といい、十津川郷野長瀬組の出身であった。
また、楠木正成を助け、南都から吉野へ向った護長親王の危急を救った功績から、『横矢』の名を賜ったとのことだ。



帰りは、高野山の龍神スカイラインを通った。山の頂上付近でパチリ。鳥の囀りが心を癒す。
高野龍神スカイライン


もう薄暗くなった頃、高野山の寺院や土産物屋が立ち並ぶ通りを車は走り去った。
桜がまだ咲いている。暗闇の中に白く浮き上がって見える桜の姿。麓の桜は、とっくに散ってしまっているというのに。




今回も、前日までどこに行こうか決めていなかった。家族みんながそれなりに楽しめて、自然の美しさを堪能できる所。それが、決めるポイントだった。

夫が、「那智の瀧には行った記憶がない」と言う。だが、20年ほど前に行っている。私には瀧の記憶がはっきり残っていた。
だが、その時点では那智に行く気は私にはなかった。そこで、思った。最近、近露のことをネットで知り、興味を抱いた。だから、その付近の熊野古道を歩こうか。
そして、一旦は、そう決まり、そのつもりでみんな歩く用意をして眠りに就こうとしていた。
しかし、夫が急遽買って来たガイドブックを、寝る真際に上の子と見ていたら、那智の瀧が良いのではないかということになった。(相変わらず、お騒がせママ。しかし、みんなはそれに対応できるから素晴らしい。笑)

熊野大社本宮の前を通る。夫の「寄って行きますか?」の問いに、「帰りに時間があったら寄っていこう」と答えて、大斎原を見ながら通り過ぎた。

その先の、熊野速玉大社へとの分岐点では、「数年前に来ているし、みんなの記憶にも残っているから、今回は寄らなくてもいいわね。」と、勝手に決める私。

那智大社でけっこう時間を要してしまうこととなった。瀧は美しかった。フランスの「知の巨人」アンドレ・マルローが瀧を見上げて、思わず「アマテラス!」と叫んだ気持ちがよくわかる。

ただ、残念だったのが、神社側の商売という姿勢。さらに瀧の近くまで入るのに300円の入場料を取るのだが、その案内のスピーカーの音量の大きさと、ひっきりなしに繰り返される勧誘の言葉。
また、那智大社も飛瀧神社も、そこいる巫女さんや神職、案内の人にいたるまで、そのほとんどに凛とした清楚さや慎ましさが感じられなかったことは、非常に残念なことだった。やはり、商売に重点を置いてしまっているからだろうか。

だが、昔の思い、昔の歴史に気持ちを置くことで、そういった雑音に振り回されることもそれほどなかった。

そして、那智大社を出た後は、もう、時間もなかったので近露には寄ってもらえないかと思っていた。だが、十津川の道は夜走るには危ない箇所もあるから避けたいとの夫の思いで、高野龍神スカイラインを通ることにした。そのために、なんと、近露の側を通ることになったのだ。

近露の側まで来て、そのまま通り過ぎようとしたちょうどそのときだった。石碑のすぐ近くにある美術館の案内板が目に飛び込んできた。「そこ、右に曲がって!」と叫ぶ私。
急ブレーキで間に合い、なんとか石碑へと。めでたし、めでたし。

久しぶりに美しい光景、きれいな空気で呼吸が出来た。そして、瀧の美しさは、記憶の中で次第に美しさを増していく。
また、『近露王子之跡』という筆跡のやさしさが心に沁みてくる。その石碑にかけた思いも心の中に強く入ってくる。

心の旅。
posted by ミューシャ at 15:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年01月03日

今年の初詣

今年もまた初詣は伊勢神宮へと行った。外宮、内宮、そして、瀧原宮。瀧原宮は、初めて参拝した。

また、外宮、内宮では、なぜ今まで気がつかなかったのか不思議なぐらいなのであるが、次の神社があった。

まず、外宮。土宮の近くにある下御井神社。ここは、水の神を祀るところらしい。上御井神社で御料水が汲めない時に、下御井神社から汲むと、今しがたネットで調べたら書いてあった。
下御井神社




次に内宮へと向った。五十鈴川の畔にある滝祭神を祀る御社。この存在にも、初めて気がついた。弥都波能売神が御祭神。
滝祭神




次は、瀧原宮。正月ということで参拝客も多く、なるべく人が写らないように撮れればと思ったのだが、なかなか至難の業。やむを得ずに写ってしまった人物は、全く見ず知らずの他人であるのでご了承願いたい。


瀧原宮入り口

さて、ここから参道が始る。隣に「道の駅」がある。




参道

けっこう長い参道が続く。




御手洗場1  御手洗場2

参道の途中にある御手洗場




この瀧原宮には、四つの御社がある。瀧原宮・瀧原竝宮・若宮神社・長由介神社である。


瀧原宮

瀧原宮




瀧原竝宮

瀧原竝宮。瀧原宮の手前、向って左側にある。




若宮神社

若宮神社。瀧原宮の奥、向って右手にある。




長由介神社

長由介神社。瀧原宮の奥、参道側にある。




遷宮御敷地  木

遷宮御敷地





今回の伊勢への旅行は、あまりにもいろいろなことがあった。良きことも、良くないことも。
たとえば、外宮から内宮へタクシーで行き、その時は普通だったのだが、帰りの内宮から外宮へのタクシー。運転手にお釣をごまかされてしまった。1330円だったので2000円だした。つり銭は670円でなければならないのだが、けっこう時間をかけてこまかいお金ばかり、じゃらじゃらと渡された。
降りてから念のために数えたら470円。200円のごまかし。しかも、あまりにも早く、そのタクシーは走り去ってしまった。つり銭をごまかされたのは初めてのこと。
だが、タクシー運転手の経済状況はけっこう厳しいようなので、私も家族も怒る気にはなれず、まあ、仕方ないねと。

だが、このような出来事はまだ序の口。本当に大変なこともあり、反対に良きこともあったとだけ書いておこう。伊勢には何度も何度も訪れているが、このような成り行きは初めてのこと。

その中でも天気に恵まれたことは良かったと思う。まあ、内宮では人は当然の如く大勢いて、正宮へ着くまでかなりの時間がかかったが、もうすぐというところで、いきなり大粒の雨が降り出した。が、ちょうど木の生い茂っている下だったのでそれほど濡れずに済んだ。しかし、降ったのもほんの数分のこと。その後は、また太陽の光が射し込みはじめた。

そして二日目には瀧原宮。参拝を終えるまで良い穏やかな天気だった。しかし、参拝を終えて車を走らせ始めたら、みるみる曇ってきて雨が降り、そのうち雪も舞い始めた。しかし、思わぬ雪景色に喜んでしまったのだが。

また、帰り道、食事をしたところにゲームセンターがあり、はじめて見るタイプのUFOキャッチャーがあった。
番号札のついている鍵を取るようになっていて、取れた鍵で、幾つも並んであるボックスの同じ番号の戸を開けて、中に入っている商品を貰うというもの。

家族の誰もやろうとはしなかったが、私はこうなったら運試しと言ってチャレンジした。もちろん、子ども達からは、センスないから取れるわけないのでやめるようにと言われたが、それが、なんと取れてしまったのである。

はじめ、番号と商品を見て、目玉親父のぬいぐるみが面白いから、その番号をとろうと試みた。
しかし、取れたのはその番号ではなく、違う番号の鍵。どんな景品だろうかと不安と期待で取り出してみると、それはぬいぐるみの湯たんぽであった。下の写真がそうである。
犬の湯たんぽ


まあ、とりあえず、運試しは良かったということにしておこう。

今年一年、何が起こるのだろうか、まだ始ったばかりである。
一つ一つ、真摯にこなしていきたいと思う。
posted by ミューシャ at 01:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年11月13日

満月とジャスミン

今日は満月。

慌しく忙しかった一日。

いつもは当たり前のことのように思っていたのに、体が動くということの幸せを、心から嬉しいと思った。

空を見たら、青空が、本当に青い空が広がっていた。なぜか、ああ、青い色に戻って良かったと思う不思議な感情が湧きあがってきた。

お風呂に入るとき、今日は、ジャスミンの入浴剤を入れた。花のハーブが入ったものだ。一日の疲れが癒され、新たな思索の感情へとリセットされる。
ふと、満月とジャスミンは合うなと思った。透明で清楚な空間。


11月13日満月

午後3時頃が最も円い月だったらしい。これは、午後5時の月。東北東の空。



11月13日金星

南西の空に一際明るく輝く星があった。一番星、みーつけた。




同じことでも、人によって、或は状況によって受け取り方が違う。
例えば、林檎が一箱家にあり、更にもう一箱他所から貰ったとする。そこで、ある人は、こんなにあっても食べれないじゃないか、有難迷惑だと思う。また、ある人は、食べるものをこんなに豊富に貰えて有難いことだと感謝する。

神の芸術の中で最も優れたものは愛だと思う。
神の法則の中で最も優れたものは愛だと思う。

感謝するという感情は、愛に比例するのではないだろうか。
善も愛に比例し、美も愛に比例するし、正義も愛に比例する。

物事の捉え方は意識するということから始め、努力し、そして、いつしか自然に愛の中で受け捉えられるように出来たらいいなと思う。

死ぬまで勉強。
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2008年11月10日

何気ない光景

わが家の何気ない会話。

私「船代に3万5千円もだすのだから、もっと、ゆっくり見たかったわ。」

上の子「でも、あの先はすぐ海になっていて行き止まりになっていたから、そんなにいても見る所はなかったでしょ。」

下の子「それにしても船代に3万5千円もだすなんて、もったいないよね。」

上の子「でも、お母さんの行きたい所に行けたのだからいいじゃない。」

下の子「まあね・・・・・・・。」



今回は、やけに素直な会話・・・・・・・・。



また、わが家の食事でみんなが揃うのは一週間に一度ぐらい。そして、幾つかの料理を盛り付けたお皿には、いつも必ずと言っていいほど一つずつおかずが残るのである。

そこで私は、「あらー、また一つずつ残っているわ。もったいないわね。誰か食べないの?」と聞く。
すると、誰も食べないのだったら食べるということになって、お終いチャンチャンとなるのである。

それから、ご飯。以前は、私が前回に残ったご飯を食べ、新しく炊いたご飯を家族に出していた。しかし、子ども達がある程度大きくなってからは、残った御飯はみんなに平等に分け、その上に新しい炊き立ての御飯を盛るように変えた。

そして、私は当然のことながら、自分の御飯は一番最後に盛る。だが、残り物の御飯があるときに自分のを盛ろうとすると、あら、不思議、私の御飯茶碗に盛ってあった御飯がなくなっているのである。そして、上の子の御飯茶碗はすでに食卓に運ばれている。

そう、上の子は、残り物の御飯でいいというのである。お母さんは新しく炊いた御飯を食べてと。



わが家の何気ない光景。

ああ、そういえば、夫のことが出てこなかった。(笑)寡黙な人である。が、母が言うには、「あなたのことろは、どちらも芯が強いわね。」とのこと。

そして、子ども達はというと、父親に文句というものを言えないらしい。
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2008年10月06日

幽体隠神

空海や最澄は有名。しかし、同じ時期に唐に渡った霊山三蔵のことを知る人はそう多くないだろう。おそらく、唐に渡ったまま帰国できなかったことも影響しているのかもしれないが。

霊山三蔵は、息長氏丹生真人族の一人。丹生という地名はけっこういろいろな所で見かける。飛騨に行った時も、丹生川村というところがあり、両面宿禰や日抱きについて知ることができた。
そこも、丹生都比売神社と同じように、仏教色が強いながらも神道と心地よく融合している感じを受けた。

ちょっと面白いなと思ったのが、丹生都比売神社の「ひめ」という文字。霊界物語では、幽体隠神の男神には比古を付し、女神には比女を付すとある。

息長氏丹生真人族の霊山三蔵と丹生都比売の繋がり、そして、神功皇后、また、空海と丹生都比売の繋がり・・・・・。古代の希望に満ちた流れが見えるようだ。

とはいっても、これは私の一方的な見解。ミステリアスなもの故に、色々な方々が研究しておられるようだ。私はそれを見て楽しんでいようと思う。
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2008年10月01日

生かすということ

午前中の戦争が終る。はぁー、くたびれた。

私の一日は、4時50分起床から始る。下の子のお弁当作り。冷凍食品が嫌いという子なので、何品ものおかずを一から作らねばならない。

そして、朝食作り。夫は6時15分、下の子は6時半に食卓に着く。上の子は、大学での講義スケジュールによって日々違う時間での食事。この子は、夜は資格取得のための専門学校へも通っている為、早昼を食べていく日は大変。夜帰ってくる11時か11時半まで食事をとっている時間がない為に、栄養価があり、かつボリュームのあるものを用意しなければならない。

そして、私は夜の11時頃に上の子を駅まで車で迎いに行く。夫は深夜近くの帰宅。しばしば、仕事が忙しい為に1時、2時になることもある。

当初、今春から夫は転勤の為、単身赴任になる予定だった。しかし、社長の推薦という異例の大抜擢により転勤はなくなったのだが、仕事はハードになった。

ハードな人間を抱えていると、健康管理、特に食事作りは大変になる。


【今日のメニュー】

● お弁当
  うな卵焼き・チーズ入り鳥ささみ肉のフライ・筍煮・キャベツ炒め・はんぺん・梨と林檎

● 朝食
 (夫) うな卵焼き・キャベツ炒め・トマト・筍煮・豆腐とほうれん草の味噌汁・梅干・ご飯

 (下の子) バナナ・常温の水(ダイエットと申して、最近はこのパターン)

● 上の子の早昼
  カルボナーラスパゲッティー・トマトサラダ・野菜ジュース・ワッフル


そして、夕食。何にしようか・・・・・。三者三様のライフパターン。それぞれの身体が欲する食事が違うので、何品か作った中でバランスよくチョイス出来るように心がけている。

また、自分の食事となると、さすがに疲れてしまうのと、時間がもったいないのとで、余ったものなどを少しずつつまみながらという感じであろうか。

まあ、これも、家族達が感謝の気持ちを抱いてくれるので少しは救われるが、ハードな生活パターンの家族をもつと、雑用に徹する人材は必要。
でも、自分の本を沢山買っても誰も咎めないし、たまに一人で何処かへ一日中出かけるときなどは応援すらしてくれる。上の子などは、自分が働くようになったら欲しい本を買ってあげるなどと嬉しいことを言ってくれてもいるし、下の子は、休日に私が疲れてしまっているときなど食事作りを率先してやってくれる。


家族は誰も大病をしたことはなく、子ども達はいたって健康。上の子など、インフルエンザが流行り、周りの人間がそれに罹っていてもうつったことはなく、もし仮に熱でも出したら、それこそ青天の霹靂というぐらいなのだ。

やはり、食生活と家庭における安心感は、人間にとって必要なこと。現代社会の追われる様な風潮は、人間を疲弊させてしまう。自分の人生という事を考えたいが、みんながみんな、そんな考えだったなら全体が弱っていく。だから、ある時期までの犠牲は不可欠なこと。が、その犠牲は尊く美しいものであるとうことも事実なのである。
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2008年08月30日

献茶

数日前から、朝のお祈り時に、お茶を点てて神棚に献茶している。

献茶も祝詞奏上と同じ。自分に穢れがある時には出来ない。
穢れと言っても、人それぞれに基準は違うし、捉え方も違うが、私は私自身が許せるものでなければ行為に移す事は出来ない。偽善は最も嫌うところだからだ。

祈り終えた後、その献茶したものを頂くが、お抹茶の味はその時々によって違う。祈りながら点てたお茶だからこその違いなのかも知れないが。

それによって、自分の状態を知覚する。そして、明日はもっと美味しいお茶を点てられるように、今日一日をさらに意義のある生き方をしたいと心を新たにするのである。

また、子ども達もお抹茶が好きである。だから、いつも子ども達それぞれに対し、それぞれの祈り方でお茶を点ててあげるのである。
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2008年08月20日

カルマを超えて

今年は、東山魁夷の生誕100周年だという。美術館へ行って来た。
彼の絵は写真でもその美しさは十分に伝わってくるが、それでも、やはり実物ははるかに素晴らしい。

心で観る、心で感じる。霊学を学んできたせいか、そのことが確実に認識できた一時でもあった。また、それと同時に、彼の作品が心の表現であったということも、見る側の人間に静かな浸透をもたらしていたのだろう。

彼の作品は湖面に映る姿を描くものが多いが、湖面に描写されたものの方が繊細で生きたものとして感じるものもあれば、その反対に、現実界の姿を描いたものの方が躍動的で生きたものとして感じられるものもある。

その他にも、その絵の前に立っていると、絵の中に吸い込まれそうになるような心地よい緊迫感を感じさせるものもあったりで、彼の心に映った地上の姿に心が洗われるかのようであった。

また、このブログにも「白馬の森」をUPしてあるが、実物では、その白馬の美しさ、白馬に込められた叡智・思い・理想などに圧倒された。この絵の白馬は、こんなにも美しかったのかと。

そして、喫茶室もあったので、ちょっとそこで一休み。東山魁夷の絵をモチーフにした羊羹と抹茶のセットがあった。「道」・「光昏」」「緑響く」の三種類があったが、「緑響く」を注文した。

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また、上の子が東山魁夷の絵が好きで何年も前から見に行きたいということを言っていたのだが、なぜか、下の子が一番真剣に見入っていた。
下の子は小学生の頃は絵を習っていて何度も賞をとっていたが、それも中学校に入ったらすっかり描くことに興味がなくなり、今回も絵を見たってしょうがないとぶつぶつ不満を言っていたのだ。
しかし、東山魁夷の世界に魅了され、こんな絵を描いてみたいと。彼女の見入っている姿は、確かに他の多くの鑑賞者とは少し違っていた。

私は子どもの教育について改めて確信した。本人がそれを見もしないで嫌だと言うことに従うのではなく、優れたもの、美しいものには実際に触れさせるということは人間教育には必要なことなのだと。




この美術館の隣には善光寺がある。今年は40年ぶりに山門の特別拝観を行っていた。

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善光寺から長野駅へ向う道沿いにタイ料理の店があったので、昼食はそこで食べた。リーズナブルな値段で、味もまあまあ美味しかった。本来なら、信州といえば蕎麦なのだろうけれど。(笑)




私の子どもの頃は父の仕事の関係で引越しは何度もあったが、いつもきれいな山に囲まれている所だった。そう、ちょっと車を走らせば、こんなような素適な風景が見られるのだ。

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近くにオープンしたばかりのネパール料理の店があった。全員、現地の人のようだった。みんな誠実そうな感じ。
お昼のランチは800円から950円までだったが、焼きたてのナンの美味しいことったら。もちろん、カレーもGood。このぐらいだったら、普通なら1500円ぐらいはとるのにねと、子ども達と話していた。
蕎麦―――! ま、いいか。タイ料理といい、ネパール料理といい、美味しいものを食べられたのだから。(笑)




下座の行というのも、それがごく自然に出来るようになれば、それはもはや下座の行とは呼ばない。なぜなら、最も高潔な行為である謙遜となるからだ。

人間は多かれ少なかれ、自分で自分を持ち上げたいものである。それが弱い人間であればあるほど虚勢を張りたくなるもの。

いつも他者が自分と同じ感覚、同じ考え、同じ知能のレベル、同じ常識、同じ度量でなければならないと思うから摩擦が起こる。
同じであることなど決してあり得ないのだ。
他者を受け入れるということは、自分と同じにしようとすることではなく、他者の持っている世界を心で理解しようとすることなのである。



故郷の家。母が大切に育てた鷺草。実に面白いね。鷺草は8月21日、明日の誕生花だということだ。

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こちらへ帰る前日の夕方、料理に使う紫蘇の葉を摘んでいたら、傍に赤とんぼがやって来た。今年始めて見る赤とんぼ。今頃とは珍しい。
「あなたを写真に撮りたいから、ちょっと待ってってね。」と、お願いしてカメラを取りに行った。
赤とんぼは待っていてくれた。葱坊主の頭に止った赤とんぼ。

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こちらへ戻って駅に着いた時、下の子は言った。「30歳ぐらいになったら、ああいう自然の多い所で暮らしたいな。それに、もう一度、台湾へ行きたい。台湾の人は親切な人ばかりだったもの。」と。
あの子にとっては幼なじみも多いこの町。だから、この町が好きだから引っ越したくないと言っていたのだが、良い環境に触れると考え方も変わってくるようだ。

どこにでも良い人もいれば悪い人もいる。ただ、その割合が土地によって違うだけだ。
私も関西から出たい。関西は苦手だ。数年ぶりに実家に帰って思った。ちょっとした気配りや、ちょっとした親切、そして目上の人や老人たちに対する礼節や気遣いを持っている人口の割合が関西とは全然違う。そのことが、まるで、天孫降臨のような気分にさせた。きっと、天孫降臨とは、高い山に住んでいた人間が、環境の良くない平地へ降りてきたことを言うのかなと、ふと、そんなことを思ったりした。


人間は、自分の経験した環境の中に於いてだけの目で物事を把握したがるものだ。基準は、それぞれ違うと言うのにである。


自分の家に帰ってきたら、二匹のキアゲハが舞っていた。
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2008年08月11日

日抱〜飛騨

一泊二日で飛騨まで出かけてきた。なぜ、飛騨かというと、家族で旅行に出かけようということになったのだが、どこへ行きたいかと聞いても、みんなは、「どこでもいい、お母さんの行きたい所にすれば。」とのご意見。

はてさて、今のところ、これといって行きたい所もないしなと思っていたところへ、夫がぼそっと「飛騨ぐらいまでなら運転してもいい」と言う。
そこで、ピンときた私。「そうか、両面宿儺だー」。ということで、飛騨に決定したのであった。

それでは、写真及びビデオのUP。



まず、丹生川村にある千光寺と、そこに咲いていた花。

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次は、やはり丹生川村にある鍾乳洞。一説には、両面宿儺の終焉地ではないかと言われている。また、ここで撮った写真の何枚かにはオーブが写っていた。何かあることだけは確かなようだ。

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丹生川村には、「日抱の御霊鎮め」という神事が、太古から伝わっていたという。これは、森の中に水を溜める池を作って、その池の水に太陽を映してそれをじっと見つめて御霊鎮めを行うという神事。そして、日を抱くように皆が輪を作って座って行じていたところから日抱と言ったとのことである。

また、日抱が飛騨と変わっていったという。そして、稗田阿礼も飛騨の生まれだとも言われていて、「ひえだ」と読むのではなく「ひだ」と読むのが正しいとのこと。

日抱の宮は丹生川村に十八社あり、後に伊太祁曾神社と名前を変えたという。

で、今回訪れたのは伊太祁曾神社ではなく、日輪神社。

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あれあれ、中に誰かが・・・・・・・・。

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「扉を開けて中へ入って自由にご参拝ください」との表示。御神霊にお断りして、写真を一枚。

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神社の向って右側にある太陽石。神代遺跡研究科の上原清二が、太陽席と判断したとのこと。



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今日の旅程は終り。ホテルの部屋から見える風景。



さて、二日目。位山に登る予定だった。本には、位山モンデウススキー場からダナ平林道を車で走った先にある駐車場に車を止めて、そこから頂上まで歩いて一時間と書いてあったのだが、ダナ林道は乗用車で登れるような道ではなかった。とはいっても、一度走り始めたらUターンする場所はなく、そのまま決死の覚悟で駐車場まで行ったのだが。

とにかく道幅は狭く、車一台がなんとか通れる状態。しかも、酷い石ころだらけの道。所々に待避所はあるものの、そこまでの間に、もし対向車が来たらにっちもさっちもいかない危険な道。

が、来たのだ!対向車が!しかし、位山の神様と御眷属及び夫の守護霊人に祈り続けていたお蔭であろうか、ちょうど待避所のところでの鉢合わせだったので救われた。良かったー。まさに、危機一髪。


これは下りに撮ったビデオだが、まさに手に汗を握るというものであった。

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ダナ平林道終点の駐車場にあった、太陽神殿とかいうもの。なんでも、都竹峰山とかいう人物が御神示によって位山を開いた時、宮村っと協議の上、この場所に作ったということである。

さーて、着いたことだし、山へ登る為に車を降りようとドアを開けたら、家族みんなの「早く、戸を閉めて!」の声。
なんなんのだろうかと思ったら、数匹の大きな蜂に車を取り囲まれていたのである。
が、私は蜂は怖くない。一旦閉めたものの、蜂はいつまでたっても離れようとしない。だったら一人で登るからみんなはここで待っていればと降りようとしたら、上の子の緊張感が険しい山道と蜂で最高潮に達してしまったため、仕方なく断念。やはり、朝方見た夢はこのことを表していたのだろうか。
後から聞いたら、なんと、上の子だけ蜂に刺されたことがあるという。親の私が知らなかったとは・・・・。いくら我慢強い子でも、それぐらいは言ってよねと。

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険しい山中




さて、そこで予定は急遽変わって、アララギ湖へ。アララギ湖と位山のコントラスト。
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さて、最後は水無神社。なんと、御神籤を引いたら「大大吉」。こんなの始めて。大吉以上のものがあるとは・・・・・。第五番でした。

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右手にあった白山神社


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その白山神社の説明


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最近、思うことなのだが、今、生きていて、そしてその時はリアルに体験していても、過ぎ去ってしまうと、それらはずべて夢の中の出来事かのように思えてしまうのだ。
そう、それはまぎれもない自分だったのに、自分ではないかのように。
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2008年06月07日

熊山遺跡

朝4時に起床。そして、4時45分頃、家族を起こさないようにそっと家を出た。
熊山駅には9時に着く予定だったのだが、乗り換えのミスで遅れること1時間15分。着いたのは10時15分頃だった。既に家を出て5時間半。
でも、ここでへこたれてはいられない! いざ、登りましょうっと。


登山口

熊山登山口

もう、わくわく気分。そういえば、中学・高校生の時にはよく自転車で山の道なき道を行き、自転車を担いで川を渡ったりしていたな。やさしい自然に抱かれて。



無邪気

五合目を過ぎた頃からだろうか、無邪気な空間が展開されていた。そう、私には、そのように感じられたのである。何か、とても愉快で楽しくなった。




かえる石

“かえる石”というのがあった。思わず笑みがこぼれた。




険しい道

頂上が近づくにつれて道も険しくなってきた。一昨日まで雨が降り続いていたせいだろうか、道も少しぬかるんで、石の上も滑りやすくなっていた。




開けた視界

急に視界が開けた。なんか、高天原みたい。




赤い土

この山は赤い土で出来ているようだ。写真よりも実際はもっと鮮やかな色だった。ふと、エアーズロックへ行った時のことを思い出した。アボリジニ人の生活を。




竜神二つ井戸

竜神二つ井戸

二つ仲良く並んであるからなのだろうか、雄竜と雌竜ということらしい。




熊山池

熊山池

緑色の水を湛えていた。熊山遺跡まで、もう少しだ。




熊山神社

熊山神社

大国主が御祭神である。




頂上

やわらかくどっしりとして、そしてエネルギーに満ちている空間が迫ってきた。そう、迫ってきたという表現がぴったりだったのだ。




熊山遺跡

熊山遺跡

先ほどのエネルギーに満ちた空間を抜けると、今度は、あまりにもクリスタルな熊山遺跡。オレンジ色の蝶が舞っていた。




説明

熊山遺跡の説明




好きな角度
遺跡の周りをぐるりと回って好きな角度の写真をUP。正面に向かって右側面のやや後方から写したもの。




猿田彦神社

猿田彦神社

熊山遺跡のすぐ近くにある。




展望

展望台から見た景色




今日は晴れという予報だったが、薄っすらとした陽射しだったのでそれほど暑くなくて助かった。
でも、久々の登山。もう、汗びっしょり。でも、所々の木陰では風が、がんばれ〜、がんばれ〜と言わんばかりに涼やかに吹いてくれた。
また、面白い音が聞こえてきた。動物の鳴き声だと思うのだが、初めて聞く音。姿が見たかったな。
そして、小さな小さなオフフォワイトの蝶が、常に足許を楽しげに舞っていた。

やさしい自然。命溢れる地球。美しい青い星。
人間は美しくも汚くもなれる。それは自分が選んだ結果なのだ。人それぞれの人間の意志。
posted by ミューシャ at 22:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年05月25日

最初の一歩

あいにくの天気。雨、雨、雨。雨が好きなのだーれ?龍神様?

そうね、最近、ちょっと大変な心境。だからこそ活動的に行かなければ。独立独歩。意外と昔から好きな言葉。

雨に誘われて出かけた先は長弓寺。先代旧事本紀に記されている内容に誘われた。


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本堂。萱葺きの屋根が美しい。そして、雨が似合った。




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本堂の右手前にあった鐘楼。自由に撞けたので、もちろん、ご〜うぉ〜ん、ごうぉ〜ん。とてもよく反響する鐘の音。饒速日に思いを馳せて撞いた。




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善女龍王の祠。室生寺の近くにあった竜穴神社に祀られてあった善女龍王と同じ空間を感じた。まあ、同じ善女龍王なので同じと言えば同じであって当たり前ですね。(笑)




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長弓寺境内にある伊弉諾神社。


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そこの由緒書き。御祭神に、な〜るほど。




生駒市デジタルミュージアム。
      ↓
http://www.city.ikoma.lg.jp/dm/index.php




【番外編】

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友人の見ている方向には、なんと、またまたオーブが。彼女を写した写真には他にも上に昇って行くような四つの白い柱というのか帯というのかそういう感じの尾をつけた透明感のある水色のオーブや、本堂の中央に真っ直ぐ立ち昇る白光色の太い柱などが一緒に写されていた。
だが、UPしてもよいという承諾を得られたのは、この一枚だけであった。

十一面観音。なんか、好きになりそう。やっと、親近感を覚えてきた今日この頃である。心の誠、尽くしたい。
posted by ミューシャ at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年05月02日

霊界物語完読

今日の夕刻6時13分頃、霊界物語全巻を音読し終えた。その後、7時のニュースで、ダライラマの特使と中国政府とが話し合いを行うことになったということについて流れていた。
また、オリンピックの聖火リレーが中国の最初の地、香港で行われた日でもあった。

この書を手にしてからどのぐらいだろうか、4、5年ぐらいだろうか。なかなか本気で最後まで読もうという気になれなかったのだが、ある時、覚悟を決めた。最後まで音読しようと。
それからは長かったような短かったような、どちらともつかない感じがする。

また、最後の音読の巻であった入蒙記。これを読んでいる時、夢を見るのだが内容を憶えていない、しかし、登場人物の名や地名は夢の中で復唱されていたのだ。
まるで、大海原の中、海中を漂っているような感覚を目覚めの時に感じていた。

そしてまた、入蒙記の中では、出口王仁三郎自身が見た夢とそれについての解釈も述べられていたが、私自身、ひつじさんという方に出会えて、そして解釈をして頂いているということに神の恩恵を深く感じたものである。

それからひつじさんには、霊界物語を読む上で、時々さりげないフォローや気付きへの導きの示唆を頂いて、本当に心から感謝しています。

おそらく、一人だけだったなら最後まで完読出来たかどうかは分からない。間違った受け取り方や自分の中の傲慢性に火がついたら、それこそ物語を読まない方が良かったということにでもなっていただろう。
これに関しても、私のようなど素人に気長に付き合って下さった方がいたということは、やはり神の恩恵に感謝せざるを得ないのである。

また、面白いことに、霊界物語を読み進めていく上でいくつものシンクロが起きたこと。そして、そのシンクロによってより深く入り込むことも出来た。

そして、音読するということが ―――真摯に無心に音読し、その物語の中に入り込むことによって――― 何か歯車が動き出すのを感じた。

出口王仁三郎が、霊界物語を不屈の精神を持って最後まで読むようにと言っていたとのことであるが、たぶん、それは「動く」のだ。そう、感じた。

また、入蒙余禄では、開祖の次男とその娘蘿龍のことについて書かれてあったが、貫かれた血統というものを心が痛いほどに感じた。
そしてまた、私の夢の中を復唱されていた人物、白凌閣。その二人の信念と勇猛心に心が洗われ、そして奮い立たされるようでもあった。

この八十一巻八十三冊という膨大な書。長く、そして話しが前後していたりするので一度だけでは把握しきれない。
また、いつかもう一度読みたいと思う。
posted by ミューシャ at 23:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年04月29日

心を開け放つということ

下の子は私の血を受け継いだのか、ギターをやりたくて、エレキギターにしようか、アコースティックギターにしようかと悩んでいた。

私も高校へ入ってすぐにエレキを買った。そして、独学。その経験から、アコギの方を勧めていたのだが、やっぱりエレキを購入してしまった。

さてさて買ったはいいものの、チューニングの仕方から梃子摺っている。挙句の果てに購入3日目で弦を切る。馬鹿者〜!

買ってきたばかりの時、「どんなのを買ってきたの?見せて。」という私の言葉に、「勝手に触らないで、汚れる。いいから、あっちへ行って。」と、なんとまあ、ぞんざいなものの言い方。

が、その言葉を既に忘れてしまったかのように頼ってくる。分からなくなると「プロに聞かなくては」と聞こえよがしに喚いている。それで、仕方がないわねと行くと、「あれ、お母さん、プロだっけ?自分はプロって言ったんだけど。」と。だから、「あ、そ。」と自分の仕事へ戻ろうとすると「いいから教えて。」と。本当にゲンキンすぎる・・・・。

かと言って、私も上手くはないし、ましてや結婚してからというもの遠ざかっていたこと。
過去の記憶を思い出しながら初歩的なことを教える。

また、今日は一緒にエレキを買った子が家に来て練習。違う高校へ進学した子だが、家が近いので気軽に行き来できる。
母子家庭の子だが、最初に家に遊びに来たのは2年ほど前だっただろうか。おやつを出したとき、かなり遠慮をしてなかなか食べようとしなかった。

この町の母子家庭の子の傾向は、他人から何かしてもらうことを拒絶する。拒絶するというより、親にそのように強く言われているような感じだ。
だから、母子家庭の親も他人が何か親切なことや手助けをしてあげようとすることを跳ね除けようとする。

なぜなら、この町では片親の子と遊ぶなと言う親が多いからだ。最初、夫婦揃っている親達からそのことを聞いたときには大変驚いた。なぜ、そのようなことを言うのか私には理解できない。ただ、偏見と差別意識、そしてくだらない優越意識を持つ土地柄のようだということは分かる。

だが、私の子ども達は二人とも、そのような偏見で友人を選ばない。どんな家庭環境の子とでも気が合えば付き合ってきている。

だから、母子家庭の親でも、最初の頑なまでに拒否していた態度が次第に変わって行くのを何度も経験してきている。
私もまた、相手が大変だと分かっていても、向こうから申し出てきてくれることには適度に甘えてお願いしたりもしてきた。ギブ・アンド・テイク。そういう関係がお互い気が楽なことだからだ。子を思う親の心。

それで、話は戻るが、その下の子の友人。今では、明るく「ありがとうございまーす。いただきまーす。わー、嬉しい。」とすぐに素直に受け入れてくれるようになった。

今日は学校が終ってから来ることが分かっていたのだが、ちょうど夕食時でお腹も空いている時間。その子の夕食事情も私は知っている。かといって、これは適度にしなければならないこと。相手が負担に思わない程度に。

だから、大き目の肉じゃが風味のコロッケを作ってわが子とその子とに一個ずつ、「出来立てのあつあつのコロッケだから熱いうちに食べてね。」とさりげなく出す。

「とても、美味しかったです。ありがとうございました。」と、その子はいつも明るく礼儀正しく帰って行く。

何事もさりげなく、ということが大切。その子も、わが子のようにかわいいのだから。

こちらが心を開け放てば、向こうもそれに答えてくれる。
posted by ミューシャ at 00:44| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年03月28日

母親たるもの

昨日寝たのが1時。今日、起きたのが5時半。睡眠時間が4時間半。家族が早く出かけるなら、それにあわせて食事を作ってあげなければならない。それが主婦の役割。家族の健康を守るのが母親の仕事。

母親たるもの、自分に甘えてはならない。
母親たるもの、自己犠牲は愛の証でなければならないし、それは当然のこと。
母親たるもの、家族のメンタル面をサポートするのは当然のこと。
母親たるもの、いつも希望に燃えていなければならない。
母親たるもの、常に無邪気でなければならない。
母親たるもの、自己利益を超越した他人への奉仕を実践するもの。
母親たるもの、常に調節の役割をしなければならない。
posted by ミューシャ at 07:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする