2009年05月04日

熊野〜心の旅路

小旅行に出かけてきた。

ルートは、十津川 〜 熊野那智大社 〜 近露王子 〜 高野龍神スカイライン

朝から晴天。ただ、不思議なことに出かける前、縺れた2本のヒモと1本のチェーンを解くことに遭遇。まあ、熊野三山だから、これも何かの示唆かと軽く受け止めた。

写真をUP。


十津川

十津川

とてもきれいな川。現実の姿と水面に写る姿。しばし時を忘れ、思いを馳せる。もう少し走ったところには、ピンク色の桜が咲いていた。



青岸寺と瀧

熊野那智大社にある青岸渡寺と那智の御瀧




竹の子

竹の子or竹?

青岸渡寺から那智の御瀧のある飛瀧神社行く途中で見かけた、脱皮突入段階の竹。



伏し拝み

伏し拝み

那智の御瀧の遥拝所として守られて来た聖地。写真を撮ろうとした時、どこからともなく小さな黒い三匹の蝶が、縦一列に並んで舞って来た。



那智の御瀧シリーズ


那智の御瀧1


那智の御瀧2


那智の御瀧3


那智の御瀧4


那智の御瀧5




那智の御瀧のビデオ。映像を横に撮ってしまったので、寝観音になって見てくださいませ。




次は近露王子。
近露は、花山天皇が本宮の手前最後の宿泊所とされた場所。また、『近露』という名の由来は、箸折峠で花山天皇がカヤを折って箸にしたとき、カヤの軸が赤いのに驚いて「血か露か」と問うたことが由来となった。

そして、この『近露王子之跡』と書かれた石碑には、なかなか興味深い経過がある。下にUPした説明書きの写真ををクリックすれば大きく表示されるので御覧下さい。


説明書き

石碑の説明書き





近露王子の石碑

石碑


たぶん、光の悪戯だろうと思うが、王という文字の一番下の線の右側が赤くなって写真に写っている。撮ったあとに写真の確認をした時、思わず近露の由来に意識が向けられた。



近露王子の石碑

石碑を拡大して撮ってみた




石碑の裏

石碑の裏側



説明書きにもある横矢氏の家系について、少し記しておこうと思う。元は野長瀬といい、十津川郷野長瀬組の出身であった。
また、楠木正成を助け、南都から吉野へ向った護長親王の危急を救った功績から、『横矢』の名を賜ったとのことだ。



帰りは、高野山の龍神スカイラインを通った。山の頂上付近でパチリ。鳥の囀りが心を癒す。
高野龍神スカイライン


もう薄暗くなった頃、高野山の寺院や土産物屋が立ち並ぶ通りを車は走り去った。
桜がまだ咲いている。暗闇の中に白く浮き上がって見える桜の姿。麓の桜は、とっくに散ってしまっているというのに。




今回も、前日までどこに行こうか決めていなかった。家族みんながそれなりに楽しめて、自然の美しさを堪能できる所。それが、決めるポイントだった。

夫が、「那智の瀧には行った記憶がない」と言う。だが、20年ほど前に行っている。私には瀧の記憶がはっきり残っていた。
だが、その時点では那智に行く気は私にはなかった。そこで、思った。最近、近露のことをネットで知り、興味を抱いた。だから、その付近の熊野古道を歩こうか。
そして、一旦は、そう決まり、そのつもりでみんな歩く用意をして眠りに就こうとしていた。
しかし、夫が急遽買って来たガイドブックを、寝る真際に上の子と見ていたら、那智の瀧が良いのではないかということになった。(相変わらず、お騒がせママ。しかし、みんなはそれに対応できるから素晴らしい。笑)

熊野大社本宮の前を通る。夫の「寄って行きますか?」の問いに、「帰りに時間があったら寄っていこう」と答えて、大斎原を見ながら通り過ぎた。

その先の、熊野速玉大社へとの分岐点では、「数年前に来ているし、みんなの記憶にも残っているから、今回は寄らなくてもいいわね。」と、勝手に決める私。

那智大社でけっこう時間を要してしまうこととなった。瀧は美しかった。フランスの「知の巨人」アンドレ・マルローが瀧を見上げて、思わず「アマテラス!」と叫んだ気持ちがよくわかる。

ただ、残念だったのが、神社側の商売という姿勢。さらに瀧の近くまで入るのに300円の入場料を取るのだが、その案内のスピーカーの音量の大きさと、ひっきりなしに繰り返される勧誘の言葉。
また、那智大社も飛瀧神社も、そこいる巫女さんや神職、案内の人にいたるまで、そのほとんどに凛とした清楚さや慎ましさが感じられなかったことは、非常に残念なことだった。やはり、商売に重点を置いてしまっているからだろうか。

だが、昔の思い、昔の歴史に気持ちを置くことで、そういった雑音に振り回されることもそれほどなかった。

そして、那智大社を出た後は、もう、時間もなかったので近露には寄ってもらえないかと思っていた。だが、十津川の道は夜走るには危ない箇所もあるから避けたいとの夫の思いで、高野龍神スカイラインを通ることにした。そのために、なんと、近露の側を通ることになったのだ。

近露の側まで来て、そのまま通り過ぎようとしたちょうどそのときだった。石碑のすぐ近くにある美術館の案内板が目に飛び込んできた。「そこ、右に曲がって!」と叫ぶ私。
急ブレーキで間に合い、なんとか石碑へと。めでたし、めでたし。

久しぶりに美しい光景、きれいな空気で呼吸が出来た。そして、瀧の美しさは、記憶の中で次第に美しさを増していく。
また、『近露王子之跡』という筆跡のやさしさが心に沁みてくる。その石碑にかけた思いも心の中に強く入ってくる。

心の旅。
posted by ミューシャ at 15:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年01月03日

今年の初詣

今年もまた初詣は伊勢神宮へと行った。外宮、内宮、そして、瀧原宮。瀧原宮は、初めて参拝した。

また、外宮、内宮では、なぜ今まで気がつかなかったのか不思議なぐらいなのであるが、次の神社があった。

まず、外宮。土宮の近くにある下御井神社。ここは、水の神を祀るところらしい。上御井神社で御料水が汲めない時に、下御井神社から汲むと、今しがたネットで調べたら書いてあった。
下御井神社




次に内宮へと向った。五十鈴川の畔にある滝祭神を祀る御社。この存在にも、初めて気がついた。弥都波能売神が御祭神。
滝祭神




次は、瀧原宮。正月ということで参拝客も多く、なるべく人が写らないように撮れればと思ったのだが、なかなか至難の業。やむを得ずに写ってしまった人物は、全く見ず知らずの他人であるのでご了承願いたい。


瀧原宮入り口

さて、ここから参道が始る。隣に「道の駅」がある。




参道

けっこう長い参道が続く。




御手洗場1  御手洗場2

参道の途中にある御手洗場




この瀧原宮には、四つの御社がある。瀧原宮・瀧原竝宮・若宮神社・長由介神社である。


瀧原宮

瀧原宮




瀧原竝宮

瀧原竝宮。瀧原宮の手前、向って左側にある。




若宮神社

若宮神社。瀧原宮の奥、向って右手にある。




長由介神社

長由介神社。瀧原宮の奥、参道側にある。




遷宮御敷地  木

遷宮御敷地





今回の伊勢への旅行は、あまりにもいろいろなことがあった。良きことも、良くないことも。
たとえば、外宮から内宮へタクシーで行き、その時は普通だったのだが、帰りの内宮から外宮へのタクシー。運転手にお釣をごまかされてしまった。1330円だったので2000円だした。つり銭は670円でなければならないのだが、けっこう時間をかけてこまかいお金ばかり、じゃらじゃらと渡された。
降りてから念のために数えたら470円。200円のごまかし。しかも、あまりにも早く、そのタクシーは走り去ってしまった。つり銭をごまかされたのは初めてのこと。
だが、タクシー運転手の経済状況はけっこう厳しいようなので、私も家族も怒る気にはなれず、まあ、仕方ないねと。

だが、このような出来事はまだ序の口。本当に大変なこともあり、反対に良きこともあったとだけ書いておこう。伊勢には何度も何度も訪れているが、このような成り行きは初めてのこと。

その中でも天気に恵まれたことは良かったと思う。まあ、内宮では人は当然の如く大勢いて、正宮へ着くまでかなりの時間がかかったが、もうすぐというところで、いきなり大粒の雨が降り出した。が、ちょうど木の生い茂っている下だったのでそれほど濡れずに済んだ。しかし、降ったのもほんの数分のこと。その後は、また太陽の光が射し込みはじめた。

そして二日目には瀧原宮。参拝を終えるまで良い穏やかな天気だった。しかし、参拝を終えて車を走らせ始めたら、みるみる曇ってきて雨が降り、そのうち雪も舞い始めた。しかし、思わぬ雪景色に喜んでしまったのだが。

また、帰り道、食事をしたところにゲームセンターがあり、はじめて見るタイプのUFOキャッチャーがあった。
番号札のついている鍵を取るようになっていて、取れた鍵で、幾つも並んであるボックスの同じ番号の戸を開けて、中に入っている商品を貰うというもの。

家族の誰もやろうとはしなかったが、私はこうなったら運試しと言ってチャレンジした。もちろん、子ども達からは、センスないから取れるわけないのでやめるようにと言われたが、それが、なんと取れてしまったのである。

はじめ、番号と商品を見て、目玉親父のぬいぐるみが面白いから、その番号をとろうと試みた。
しかし、取れたのはその番号ではなく、違う番号の鍵。どんな景品だろうかと不安と期待で取り出してみると、それはぬいぐるみの湯たんぽであった。下の写真がそうである。
犬の湯たんぽ


まあ、とりあえず、運試しは良かったということにしておこう。

今年一年、何が起こるのだろうか、まだ始ったばかりである。
一つ一つ、真摯にこなしていきたいと思う。
posted by ミューシャ at 01:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年11月13日

満月とジャスミン

今日は満月。

慌しく忙しかった一日。

いつもは当たり前のことのように思っていたのに、体が動くということの幸せを、心から嬉しいと思った。

空を見たら、青空が、本当に青い空が広がっていた。なぜか、ああ、青い色に戻って良かったと思う不思議な感情が湧きあがってきた。

お風呂に入るとき、今日は、ジャスミンの入浴剤を入れた。花のハーブが入ったものだ。一日の疲れが癒され、新たな思索の感情へとリセットされる。
ふと、満月とジャスミンは合うなと思った。透明で清楚な空間。


11月13日満月

午後3時頃が最も円い月だったらしい。これは、午後5時の月。東北東の空。



11月13日金星

南西の空に一際明るく輝く星があった。一番星、みーつけた。




同じことでも、人によって、或は状況によって受け取り方が違う。
例えば、林檎が一箱家にあり、更にもう一箱他所から貰ったとする。そこで、ある人は、こんなにあっても食べれないじゃないか、有難迷惑だと思う。また、ある人は、食べるものをこんなに豊富に貰えて有難いことだと感謝する。

神の芸術の中で最も優れたものは愛だと思う。
神の法則の中で最も優れたものは愛だと思う。

感謝するという感情は、愛に比例するのではないだろうか。
善も愛に比例し、美も愛に比例するし、正義も愛に比例する。

物事の捉え方は意識するということから始め、努力し、そして、いつしか自然に愛の中で受け捉えられるように出来たらいいなと思う。

死ぬまで勉強。
posted by ミューシャ at 23:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年11月10日

何気ない光景

わが家の何気ない会話。

私「船代に3万5千円もだすのだから、もっと、ゆっくり見たかったわ。」

上の子「でも、あの先はすぐ海になっていて行き止まりになっていたから、そんなにいても見る所はなかったでしょ。」

下の子「それにしても船代に3万5千円もだすなんて、もったいないよね。」

上の子「でも、お母さんの行きたい所に行けたのだからいいじゃない。」

下の子「まあね・・・・・・・。」



今回は、やけに素直な会話・・・・・・・・。



また、わが家の食事でみんなが揃うのは一週間に一度ぐらい。そして、幾つかの料理を盛り付けたお皿には、いつも必ずと言っていいほど一つずつおかずが残るのである。

そこで私は、「あらー、また一つずつ残っているわ。もったいないわね。誰か食べないの?」と聞く。
すると、誰も食べないのだったら食べるということになって、お終いチャンチャンとなるのである。

それから、ご飯。以前は、私が前回に残ったご飯を食べ、新しく炊いたご飯を家族に出していた。しかし、子ども達がある程度大きくなってからは、残った御飯はみんなに平等に分け、その上に新しい炊き立ての御飯を盛るように変えた。

そして、私は当然のことながら、自分の御飯は一番最後に盛る。だが、残り物の御飯があるときに自分のを盛ろうとすると、あら、不思議、私の御飯茶碗に盛ってあった御飯がなくなっているのである。そして、上の子の御飯茶碗はすでに食卓に運ばれている。

そう、上の子は、残り物の御飯でいいというのである。お母さんは新しく炊いた御飯を食べてと。



わが家の何気ない光景。

ああ、そういえば、夫のことが出てこなかった。(笑)寡黙な人である。が、母が言うには、「あなたのことろは、どちらも芯が強いわね。」とのこと。

そして、子ども達はというと、父親に文句というものを言えないらしい。
posted by ミューシャ at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年10月06日

幽体隠神

空海や最澄は有名。しかし、同じ時期に唐に渡った霊山三蔵のことを知る人はそう多くないだろう。おそらく、唐に渡ったまま帰国できなかったことも影響しているのかもしれないが。

霊山三蔵は、息長氏丹生真人族の一人。丹生という地名はけっこういろいろな所で見かける。飛騨に行った時も、丹生川村というところがあり、両面宿禰や日抱きについて知ることができた。
そこも、丹生都比売神社と同じように、仏教色が強いながらも神道と心地よく融合している感じを受けた。

ちょっと面白いなと思ったのが、丹生都比売神社の「ひめ」という文字。霊界物語では、幽体隠神の男神には比古を付し、女神には比女を付すとある。

息長氏丹生真人族の霊山三蔵と丹生都比売の繋がり、そして、神功皇后、また、空海と丹生都比売の繋がり・・・・・。古代の希望に満ちた流れが見えるようだ。

とはいっても、これは私の一方的な見解。ミステリアスなもの故に、色々な方々が研究しておられるようだ。私はそれを見て楽しんでいようと思う。
posted by ミューシャ at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年10月01日

生かすということ

午前中の戦争が終る。はぁー、くたびれた。

私の一日は、4時50分起床から始る。下の子のお弁当作り。冷凍食品が嫌いという子なので、何品ものおかずを一から作らねばならない。

そして、朝食作り。夫は6時15分、下の子は6時半に食卓に着く。上の子は、大学での講義スケジュールによって日々違う時間での食事。この子は、夜は資格取得のための専門学校へも通っている為、早昼を食べていく日は大変。夜帰ってくる11時か11時半まで食事をとっている時間がない為に、栄養価があり、かつボリュームのあるものを用意しなければならない。

そして、私は夜の11時頃に上の子を駅まで車で迎いに行く。夫は深夜近くの帰宅。しばしば、仕事が忙しい為に1時、2時になることもある。

当初、今春から夫は転勤の為、単身赴任になる予定だった。しかし、社長の推薦という異例の大抜擢により転勤はなくなったのだが、仕事はハードになった。

ハードな人間を抱えていると、健康管理、特に食事作りは大変になる。


【今日のメニュー】

● お弁当
  うな卵焼き・チーズ入り鳥ささみ肉のフライ・筍煮・キャベツ炒め・はんぺん・梨と林檎

● 朝食
 (夫) うな卵焼き・キャベツ炒め・トマト・筍煮・豆腐とほうれん草の味噌汁・梅干・ご飯

 (下の子) バナナ・常温の水(ダイエットと申して、最近はこのパターン)

● 上の子の早昼
  カルボナーラスパゲッティー・トマトサラダ・野菜ジュース・ワッフル


そして、夕食。何にしようか・・・・・。三者三様のライフパターン。それぞれの身体が欲する食事が違うので、何品か作った中でバランスよくチョイス出来るように心がけている。

また、自分の食事となると、さすがに疲れてしまうのと、時間がもったいないのとで、余ったものなどを少しずつつまみながらという感じであろうか。

まあ、これも、家族達が感謝の気持ちを抱いてくれるので少しは救われるが、ハードな生活パターンの家族をもつと、雑用に徹する人材は必要。
でも、自分の本を沢山買っても誰も咎めないし、たまに一人で何処かへ一日中出かけるときなどは応援すらしてくれる。上の子などは、自分が働くようになったら欲しい本を買ってあげるなどと嬉しいことを言ってくれてもいるし、下の子は、休日に私が疲れてしまっているときなど食事作りを率先してやってくれる。


家族は誰も大病をしたことはなく、子ども達はいたって健康。上の子など、インフルエンザが流行り、周りの人間がそれに罹っていてもうつったことはなく、もし仮に熱でも出したら、それこそ青天の霹靂というぐらいなのだ。

やはり、食生活と家庭における安心感は、人間にとって必要なこと。現代社会の追われる様な風潮は、人間を疲弊させてしまう。自分の人生という事を考えたいが、みんながみんな、そんな考えだったなら全体が弱っていく。だから、ある時期までの犠牲は不可欠なこと。が、その犠牲は尊く美しいものであるとうことも事実なのである。
posted by ミューシャ at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年08月30日

献茶

数日前から、朝のお祈り時に、お茶を点てて神棚に献茶している。

献茶も祝詞奏上と同じ。自分に穢れがある時には出来ない。
穢れと言っても、人それぞれに基準は違うし、捉え方も違うが、私は私自身が許せるものでなければ行為に移す事は出来ない。偽善は最も嫌うところだからだ。

祈り終えた後、その献茶したものを頂くが、お抹茶の味はその時々によって違う。祈りながら点てたお茶だからこその違いなのかも知れないが。

それによって、自分の状態を知覚する。そして、明日はもっと美味しいお茶を点てられるように、今日一日をさらに意義のある生き方をしたいと心を新たにするのである。

また、子ども達もお抹茶が好きである。だから、いつも子ども達それぞれに対し、それぞれの祈り方でお茶を点ててあげるのである。
posted by ミューシャ at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年08月20日

カルマを超えて

今年は、東山魁夷の生誕100周年だという。美術館へ行って来た。
彼の絵は写真でもその美しさは十分に伝わってくるが、それでも、やはり実物ははるかに素晴らしい。

心で観る、心で感じる。霊学を学んできたせいか、そのことが確実に認識できた一時でもあった。また、それと同時に、彼の作品が心の表現であったということも、見る側の人間に静かな浸透をもたらしていたのだろう。

彼の作品は湖面に映る姿を描くものが多いが、湖面に描写されたものの方が繊細で生きたものとして感じるものもあれば、その反対に、現実界の姿を描いたものの方が躍動的で生きたものとして感じられるものもある。

その他にも、その絵の前に立っていると、絵の中に吸い込まれそうになるような心地よい緊迫感を感じさせるものもあったりで、彼の心に映った地上の姿に心が洗われるかのようであった。

また、このブログにも「白馬の森」をUPしてあるが、実物では、その白馬の美しさ、白馬に込められた叡智・思い・理想などに圧倒された。この絵の白馬は、こんなにも美しかったのかと。

そして、喫茶室もあったので、ちょっとそこで一休み。東山魁夷の絵をモチーフにした羊羹と抹茶のセットがあった。「道」・「光昏」」「緑響く」の三種類があったが、「緑響く」を注文した。

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また、上の子が東山魁夷の絵が好きで何年も前から見に行きたいということを言っていたのだが、なぜか、下の子が一番真剣に見入っていた。
下の子は小学生の頃は絵を習っていて何度も賞をとっていたが、それも中学校に入ったらすっかり描くことに興味がなくなり、今回も絵を見たってしょうがないとぶつぶつ不満を言っていたのだ。
しかし、東山魁夷の世界に魅了され、こんな絵を描いてみたいと。彼女の見入っている姿は、確かに他の多くの鑑賞者とは少し違っていた。

私は子どもの教育について改めて確信した。本人がそれを見もしないで嫌だと言うことに従うのではなく、優れたもの、美しいものには実際に触れさせるということは人間教育には必要なことなのだと。




この美術館の隣には善光寺がある。今年は40年ぶりに山門の特別拝観を行っていた。

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善光寺から長野駅へ向う道沿いにタイ料理の店があったので、昼食はそこで食べた。リーズナブルな値段で、味もまあまあ美味しかった。本来なら、信州といえば蕎麦なのだろうけれど。(笑)




私の子どもの頃は父の仕事の関係で引越しは何度もあったが、いつもきれいな山に囲まれている所だった。そう、ちょっと車を走らせば、こんなような素適な風景が見られるのだ。

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近くにオープンしたばかりのネパール料理の店があった。全員、現地の人のようだった。みんな誠実そうな感じ。
お昼のランチは800円から950円までだったが、焼きたてのナンの美味しいことったら。もちろん、カレーもGood。このぐらいだったら、普通なら1500円ぐらいはとるのにねと、子ども達と話していた。
蕎麦―――! ま、いいか。タイ料理といい、ネパール料理といい、美味しいものを食べられたのだから。(笑)




下座の行というのも、それがごく自然に出来るようになれば、それはもはや下座の行とは呼ばない。なぜなら、最も高潔な行為である謙遜となるからだ。

人間は多かれ少なかれ、自分で自分を持ち上げたいものである。それが弱い人間であればあるほど虚勢を張りたくなるもの。

いつも他者が自分と同じ感覚、同じ考え、同じ知能のレベル、同じ常識、同じ度量でなければならないと思うから摩擦が起こる。
同じであることなど決してあり得ないのだ。
他者を受け入れるということは、自分と同じにしようとすることではなく、他者の持っている世界を心で理解しようとすることなのである。



故郷の家。母が大切に育てた鷺草。実に面白いね。鷺草は8月21日、明日の誕生花だということだ。

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こちらへ帰る前日の夕方、料理に使う紫蘇の葉を摘んでいたら、傍に赤とんぼがやって来た。今年始めて見る赤とんぼ。今頃とは珍しい。
「あなたを写真に撮りたいから、ちょっと待ってってね。」と、お願いしてカメラを取りに行った。
赤とんぼは待っていてくれた。葱坊主の頭に止った赤とんぼ。

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こちらへ戻って駅に着いた時、下の子は言った。「30歳ぐらいになったら、ああいう自然の多い所で暮らしたいな。それに、もう一度、台湾へ行きたい。台湾の人は親切な人ばかりだったもの。」と。
あの子にとっては幼なじみも多いこの町。だから、この町が好きだから引っ越したくないと言っていたのだが、良い環境に触れると考え方も変わってくるようだ。

どこにでも良い人もいれば悪い人もいる。ただ、その割合が土地によって違うだけだ。
私も関西から出たい。関西は苦手だ。数年ぶりに実家に帰って思った。ちょっとした気配りや、ちょっとした親切、そして目上の人や老人たちに対する礼節や気遣いを持っている人口の割合が関西とは全然違う。そのことが、まるで、天孫降臨のような気分にさせた。きっと、天孫降臨とは、高い山に住んでいた人間が、環境の良くない平地へ降りてきたことを言うのかなと、ふと、そんなことを思ったりした。


人間は、自分の経験した環境の中に於いてだけの目で物事を把握したがるものだ。基準は、それぞれ違うと言うのにである。


自分の家に帰ってきたら、二匹のキアゲハが舞っていた。
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2008年08月11日

日抱〜飛騨

一泊二日で飛騨まで出かけてきた。なぜ、飛騨かというと、家族で旅行に出かけようということになったのだが、どこへ行きたいかと聞いても、みんなは、「どこでもいい、お母さんの行きたい所にすれば。」とのご意見。

はてさて、今のところ、これといって行きたい所もないしなと思っていたところへ、夫がぼそっと「飛騨ぐらいまでなら運転してもいい」と言う。
そこで、ピンときた私。「そうか、両面宿儺だー」。ということで、飛騨に決定したのであった。

それでは、写真及びビデオのUP。



まず、丹生川村にある千光寺と、そこに咲いていた花。

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次は、やはり丹生川村にある鍾乳洞。一説には、両面宿儺の終焉地ではないかと言われている。また、ここで撮った写真の何枚かにはオーブが写っていた。何かあることだけは確かなようだ。

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丹生川村には、「日抱の御霊鎮め」という神事が、太古から伝わっていたという。これは、森の中に水を溜める池を作って、その池の水に太陽を映してそれをじっと見つめて御霊鎮めを行うという神事。そして、日を抱くように皆が輪を作って座って行じていたところから日抱と言ったとのことである。

また、日抱が飛騨と変わっていったという。そして、稗田阿礼も飛騨の生まれだとも言われていて、「ひえだ」と読むのではなく「ひだ」と読むのが正しいとのこと。

日抱の宮は丹生川村に十八社あり、後に伊太祁曾神社と名前を変えたという。

で、今回訪れたのは伊太祁曾神社ではなく、日輪神社。

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あれあれ、中に誰かが・・・・・・・・。

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「扉を開けて中へ入って自由にご参拝ください」との表示。御神霊にお断りして、写真を一枚。

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神社の向って右側にある太陽石。神代遺跡研究科の上原清二が、太陽席と判断したとのこと。



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今日の旅程は終り。ホテルの部屋から見える風景。



さて、二日目。位山に登る予定だった。本には、位山モンデウススキー場からダナ平林道を車で走った先にある駐車場に車を止めて、そこから頂上まで歩いて一時間と書いてあったのだが、ダナ林道は乗用車で登れるような道ではなかった。とはいっても、一度走り始めたらUターンする場所はなく、そのまま決死の覚悟で駐車場まで行ったのだが。

とにかく道幅は狭く、車一台がなんとか通れる状態。しかも、酷い石ころだらけの道。所々に待避所はあるものの、そこまでの間に、もし対向車が来たらにっちもさっちもいかない危険な道。

が、来たのだ!対向車が!しかし、位山の神様と御眷属及び夫の守護霊人に祈り続けていたお蔭であろうか、ちょうど待避所のところでの鉢合わせだったので救われた。良かったー。まさに、危機一髪。


これは下りに撮ったビデオだが、まさに手に汗を握るというものであった。

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ダナ平林道終点の駐車場にあった、太陽神殿とかいうもの。なんでも、都竹峰山とかいう人物が御神示によって位山を開いた時、宮村っと協議の上、この場所に作ったということである。

さーて、着いたことだし、山へ登る為に車を降りようとドアを開けたら、家族みんなの「早く、戸を閉めて!」の声。
なんなんのだろうかと思ったら、数匹の大きな蜂に車を取り囲まれていたのである。
が、私は蜂は怖くない。一旦閉めたものの、蜂はいつまでたっても離れようとしない。だったら一人で登るからみんなはここで待っていればと降りようとしたら、上の子の緊張感が険しい山道と蜂で最高潮に達してしまったため、仕方なく断念。やはり、朝方見た夢はこのことを表していたのだろうか。
後から聞いたら、なんと、上の子だけ蜂に刺されたことがあるという。親の私が知らなかったとは・・・・。いくら我慢強い子でも、それぐらいは言ってよねと。

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険しい山中




さて、そこで予定は急遽変わって、アララギ湖へ。アララギ湖と位山のコントラスト。
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さて、最後は水無神社。なんと、御神籤を引いたら「大大吉」。こんなの始めて。大吉以上のものがあるとは・・・・・。第五番でした。

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右手にあった白山神社


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その白山神社の説明


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最近、思うことなのだが、今、生きていて、そしてその時はリアルに体験していても、過ぎ去ってしまうと、それらはずべて夢の中の出来事かのように思えてしまうのだ。
そう、それはまぎれもない自分だったのに、自分ではないかのように。
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2008年06月07日

熊山遺跡

朝4時に起床。そして、4時45分頃、家族を起こさないようにそっと家を出た。
熊山駅には9時に着く予定だったのだが、乗り換えのミスで遅れること1時間15分。着いたのは10時15分頃だった。既に家を出て5時間半。
でも、ここでへこたれてはいられない! いざ、登りましょうっと。


登山口

熊山登山口

もう、わくわく気分。そういえば、中学・高校生の時にはよく自転車で山の道なき道を行き、自転車を担いで川を渡ったりしていたな。やさしい自然に抱かれて。



無邪気

五合目を過ぎた頃からだろうか、無邪気な空間が展開されていた。そう、私には、そのように感じられたのである。何か、とても愉快で楽しくなった。




かえる石

“かえる石”というのがあった。思わず笑みがこぼれた。




険しい道

頂上が近づくにつれて道も険しくなってきた。一昨日まで雨が降り続いていたせいだろうか、道も少しぬかるんで、石の上も滑りやすくなっていた。




開けた視界

急に視界が開けた。なんか、高天原みたい。




赤い土

この山は赤い土で出来ているようだ。写真よりも実際はもっと鮮やかな色だった。ふと、エアーズロックへ行った時のことを思い出した。アボリジニ人の生活を。




竜神二つ井戸

竜神二つ井戸

二つ仲良く並んであるからなのだろうか、雄竜と雌竜ということらしい。




熊山池

熊山池

緑色の水を湛えていた。熊山遺跡まで、もう少しだ。




熊山神社

熊山神社

大国主が御祭神である。




頂上

やわらかくどっしりとして、そしてエネルギーに満ちている空間が迫ってきた。そう、迫ってきたという表現がぴったりだったのだ。




熊山遺跡

熊山遺跡

先ほどのエネルギーに満ちた空間を抜けると、今度は、あまりにもクリスタルな熊山遺跡。オレンジ色の蝶が舞っていた。




説明

熊山遺跡の説明




好きな角度
遺跡の周りをぐるりと回って好きな角度の写真をUP。正面に向かって右側面のやや後方から写したもの。




猿田彦神社

猿田彦神社

熊山遺跡のすぐ近くにある。




展望

展望台から見た景色




今日は晴れという予報だったが、薄っすらとした陽射しだったのでそれほど暑くなくて助かった。
でも、久々の登山。もう、汗びっしょり。でも、所々の木陰では風が、がんばれ〜、がんばれ〜と言わんばかりに涼やかに吹いてくれた。
また、面白い音が聞こえてきた。動物の鳴き声だと思うのだが、初めて聞く音。姿が見たかったな。
そして、小さな小さなオフフォワイトの蝶が、常に足許を楽しげに舞っていた。

やさしい自然。命溢れる地球。美しい青い星。
人間は美しくも汚くもなれる。それは自分が選んだ結果なのだ。人それぞれの人間の意志。
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2008年05月25日

最初の一歩

あいにくの天気。雨、雨、雨。雨が好きなのだーれ?龍神様?

そうね、最近、ちょっと大変な心境。だからこそ活動的に行かなければ。独立独歩。意外と昔から好きな言葉。

雨に誘われて出かけた先は長弓寺。先代旧事本紀に記されている内容に誘われた。


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本堂。萱葺きの屋根が美しい。そして、雨が似合った。




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本堂の右手前にあった鐘楼。自由に撞けたので、もちろん、ご〜うぉ〜ん、ごうぉ〜ん。とてもよく反響する鐘の音。饒速日に思いを馳せて撞いた。




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善女龍王の祠。室生寺の近くにあった竜穴神社に祀られてあった善女龍王と同じ空間を感じた。まあ、同じ善女龍王なので同じと言えば同じであって当たり前ですね。(笑)




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長弓寺境内にある伊弉諾神社。


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そこの由緒書き。御祭神に、な〜るほど。




生駒市デジタルミュージアム。
      ↓
http://www.city.ikoma.lg.jp/dm/index.php




【番外編】

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友人の見ている方向には、なんと、またまたオーブが。彼女を写した写真には他にも上に昇って行くような四つの白い柱というのか帯というのかそういう感じの尾をつけた透明感のある水色のオーブや、本堂の中央に真っ直ぐ立ち昇る白光色の太い柱などが一緒に写されていた。
だが、UPしてもよいという承諾を得られたのは、この一枚だけであった。

十一面観音。なんか、好きになりそう。やっと、親近感を覚えてきた今日この頃である。心の誠、尽くしたい。
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2008年05月02日

霊界物語完読

今日の夕刻6時13分頃、霊界物語全巻を音読し終えた。その後、7時のニュースで、ダライラマの特使と中国政府とが話し合いを行うことになったということについて流れていた。
また、オリンピックの聖火リレーが中国の最初の地、香港で行われた日でもあった。

この書を手にしてからどのぐらいだろうか、4、5年ぐらいだろうか。なかなか本気で最後まで読もうという気になれなかったのだが、ある時、覚悟を決めた。最後まで音読しようと。
それからは長かったような短かったような、どちらともつかない感じがする。

また、最後の音読の巻であった入蒙記。これを読んでいる時、夢を見るのだが内容を憶えていない、しかし、登場人物の名や地名は夢の中で復唱されていたのだ。
まるで、大海原の中、海中を漂っているような感覚を目覚めの時に感じていた。

そしてまた、入蒙記の中では、出口王仁三郎自身が見た夢とそれについての解釈も述べられていたが、私自身、ひつじさんという方に出会えて、そして解釈をして頂いているということに神の恩恵を深く感じたものである。

それからひつじさんには、霊界物語を読む上で、時々さりげないフォローや気付きへの導きの示唆を頂いて、本当に心から感謝しています。

おそらく、一人だけだったなら最後まで完読出来たかどうかは分からない。間違った受け取り方や自分の中の傲慢性に火がついたら、それこそ物語を読まない方が良かったということにでもなっていただろう。
これに関しても、私のようなど素人に気長に付き合って下さった方がいたということは、やはり神の恩恵に感謝せざるを得ないのである。

また、面白いことに、霊界物語を読み進めていく上でいくつものシンクロが起きたこと。そして、そのシンクロによってより深く入り込むことも出来た。

そして、音読するということが ―――真摯に無心に音読し、その物語の中に入り込むことによって――― 何か歯車が動き出すのを感じた。

出口王仁三郎が、霊界物語を不屈の精神を持って最後まで読むようにと言っていたとのことであるが、たぶん、それは「動く」のだ。そう、感じた。

また、入蒙余禄では、開祖の次男とその娘蘿龍のことについて書かれてあったが、貫かれた血統というものを心が痛いほどに感じた。
そしてまた、私の夢の中を復唱されていた人物、白凌閣。その二人の信念と勇猛心に心が洗われ、そして奮い立たされるようでもあった。

この八十一巻八十三冊という膨大な書。長く、そして話しが前後していたりするので一度だけでは把握しきれない。
また、いつかもう一度読みたいと思う。
posted by ミューシャ at 23:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年04月29日

心を開け放つということ

下の子は私の血を受け継いだのか、ギターをやりたくて、エレキギターにしようか、アコースティックギターにしようかと悩んでいた。

私も高校へ入ってすぐにエレキを買った。そして、独学。その経験から、アコギの方を勧めていたのだが、やっぱりエレキを購入してしまった。

さてさて買ったはいいものの、チューニングの仕方から梃子摺っている。挙句の果てに購入3日目で弦を切る。馬鹿者〜!

買ってきたばかりの時、「どんなのを買ってきたの?見せて。」という私の言葉に、「勝手に触らないで、汚れる。いいから、あっちへ行って。」と、なんとまあ、ぞんざいなものの言い方。

が、その言葉を既に忘れてしまったかのように頼ってくる。分からなくなると「プロに聞かなくては」と聞こえよがしに喚いている。それで、仕方がないわねと行くと、「あれ、お母さん、プロだっけ?自分はプロって言ったんだけど。」と。だから、「あ、そ。」と自分の仕事へ戻ろうとすると「いいから教えて。」と。本当にゲンキンすぎる・・・・。

かと言って、私も上手くはないし、ましてや結婚してからというもの遠ざかっていたこと。
過去の記憶を思い出しながら初歩的なことを教える。

また、今日は一緒にエレキを買った子が家に来て練習。違う高校へ進学した子だが、家が近いので気軽に行き来できる。
母子家庭の子だが、最初に家に遊びに来たのは2年ほど前だっただろうか。おやつを出したとき、かなり遠慮をしてなかなか食べようとしなかった。

この町の母子家庭の子の傾向は、他人から何かしてもらうことを拒絶する。拒絶するというより、親にそのように強く言われているような感じだ。
だから、母子家庭の親も他人が何か親切なことや手助けをしてあげようとすることを跳ね除けようとする。

なぜなら、この町では片親の子と遊ぶなと言う親が多いからだ。最初、夫婦揃っている親達からそのことを聞いたときには大変驚いた。なぜ、そのようなことを言うのか私には理解できない。ただ、偏見と差別意識、そしてくだらない優越意識を持つ土地柄のようだということは分かる。

だが、私の子ども達は二人とも、そのような偏見で友人を選ばない。どんな家庭環境の子とでも気が合えば付き合ってきている。

だから、母子家庭の親でも、最初の頑なまでに拒否していた態度が次第に変わって行くのを何度も経験してきている。
私もまた、相手が大変だと分かっていても、向こうから申し出てきてくれることには適度に甘えてお願いしたりもしてきた。ギブ・アンド・テイク。そういう関係がお互い気が楽なことだからだ。子を思う親の心。

それで、話は戻るが、その下の子の友人。今では、明るく「ありがとうございまーす。いただきまーす。わー、嬉しい。」とすぐに素直に受け入れてくれるようになった。

今日は学校が終ってから来ることが分かっていたのだが、ちょうど夕食時でお腹も空いている時間。その子の夕食事情も私は知っている。かといって、これは適度にしなければならないこと。相手が負担に思わない程度に。

だから、大き目の肉じゃが風味のコロッケを作ってわが子とその子とに一個ずつ、「出来立てのあつあつのコロッケだから熱いうちに食べてね。」とさりげなく出す。

「とても、美味しかったです。ありがとうございました。」と、その子はいつも明るく礼儀正しく帰って行く。

何事もさりげなく、ということが大切。その子も、わが子のようにかわいいのだから。

こちらが心を開け放てば、向こうもそれに答えてくれる。
posted by ミューシャ at 00:44| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年03月28日

母親たるもの

昨日寝たのが1時。今日、起きたのが5時半。睡眠時間が4時間半。家族が早く出かけるなら、それにあわせて食事を作ってあげなければならない。それが主婦の役割。家族の健康を守るのが母親の仕事。

母親たるもの、自分に甘えてはならない。
母親たるもの、自己犠牲は愛の証でなければならないし、それは当然のこと。
母親たるもの、家族のメンタル面をサポートするのは当然のこと。
母親たるもの、いつも希望に燃えていなければならない。
母親たるもの、常に無邪気でなければならない。
母親たるもの、自己利益を超越した他人への奉仕を実践するもの。
母親たるもの、常に調節の役割をしなければならない。
posted by ミューシャ at 07:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

価値ある霊学

来る日も来る日も大掃除。また、いつ何時どんな運命が訪れるか分からないゆえ、出来る時に出来ることをするだけ。

さすがに一昨日は体がオーバーヒートしてしまった。人間の体って華奢なんだなと。
肩が凝るのを通り越すと、鈍痛のような裂傷のようななんともいえない痛みが起こるということを知った。そして、37度4分ほどの熱がずっと続き、寒気と暑さが交互にやってくる。それから、とにかく体がだるいし、食べ物を受け付けなくなる。内臓機能が急速に衰えるんだなと。

だが、ペースダウンをすればいいものを、昨日からまたフル回転。どうも、性格的なものはどうしようもない。再びダウンした時はそれはそれで仕方がない。

まあ、今回は徹底的に片づけをしているので、思わぬところから完全に忘れ去っていたものが出てきたりしている。

ああ、そうそう、今朝は自分の部屋の窓際で片づけをしていたら、小鳥が開けてある窓の桟のところまで遊びに来た。人懐こい小鳥。可愛い声で囀っているので、私もしばし一緒にお話しを。
朝日と小鳥。素適な光景。
野生の小動物が警戒心を持たずに寄ってきてくれるときだけ、私は自分に少しだけ自信を持つことが出来る。

それで、その忘れ去っていたものの中には、かつての宗教遍歴をしたときの、ある団体の書籍やらカセット、CD、メモを取ったノートなどが残っていた。
「他見を許さず」とか「極秘」とか、そんなものが何点も・・・・。

もちろん、今回は全部処分した。

自分の歩んできた過程に後悔はしていないし、また自分にはその経験は必要なことだったと思っている。
しかし、物はいらない。ましてや、中心軸をどんどんぶれさせて行き、そして悪の手中に落ちた人間のものなど一切残す必要はない。例え中には良いことが書かれてあったとしても、その人間の向かった先が悪であるなら全てがNGなのだ。
そして、悪に向かうには、最初の動機・意志にすでに歪みがあったからだ。悪の入り込む隙があったから。純化されていない動機・意志。

そして、それらは今の私には必要ないもの。初めが悪のように見えていても最後は善なら、その人間の語ってきたことや思考過程には意味がある。
だから、善で終った人間の語った霊学にのみ価値がある。

かくいう私も先は分からない。霊学を志そうと思ったその動機・意志が本当に純化されていないなら、私の最後は悪で終るだろう。反対に純化されていたものだったなら善で終るはず。まさに賭けの様。

どんどんスリム化して行きたい。不必要なものはいらない。
posted by ミューシャ at 00:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年03月21日

新生活

子どもは希望していた高校に合格した。その後の合格者説明会及び制服や書籍等の購入やらで、何かとばたばたと忙しい日々。やっと一息つけたという気の緩みか、親の私はどっと疲れが。しかし、子どもは新たな希望に燃えている。

また、子どもの携帯には試験日終了からメールの嵐のようだ。ひっきりなしの着信音。それと共にいろいろな悲喜劇を知る。

別の高校を受験した子が不合格だったので、慰め会をして欲しいという本人からの申し出メール。
中学受験でそのままエスカレーター式に高校へ進学できるはずなのに、どういう事情なのかまだ行く高校が決まっていないという悩みメール。
また、塾の祝賀会で友人達のそれぞれのもくろみを事前に聞かされて楽しんでいたりもする。
もちろん、一緒に遊ぼうメールの数々に、入学式後にみんなで集まって、それぞれの高校の制服を着てみようなどという予定まで組んでいる。
いったい、あの子の交友関係はどこまで広いのか見当もつかない。問題はお小遣い。親は決して金のなる木ではない。自分の小遣いの中で交友を考えなさいよと。

だが、確かにあの子は頑張ったと思う。
夏休み前までは内申なんか関係ないと、人の言うことも聞かずに好き勝手なことばかりしていたが、いよいよ受験が目前に迫ってきて、しかも、今の成績では希望している高校には行けないと塾長から言われたショック。おそらく、目の前が真っ暗になったのではないだろうか。

また、姉がガリ勉というわけではなかったのに勉強が出来てトップ校へとすんなりと進んでいる状況を見ていて、自分もそれほど勉強しなくても行けるものだと思っていたというのだからめでたい人間と言わざるを得ないのだが。

でも、姉はやることはやっていた。ただ、それだけだが、そのやることをやっていなかったのが妹。だから、取り敢えず、通告を受けてからの持続力は褒めてあげたいと思う。

結局、最終的には偏差値を15近く上げることが出来た。塾長からは、内申点さえ稼いでおけば、今の実力だったらもっと上の高校に行けたのに残念だねと言われたとか。
でも、もともと彼女の場合、最初から行きたい高校は決まっていた。だから、それで良かったのだと思う。

また、それぞれの都道府県にもよるのだろうが、同じ公立でも設備投資が違うなと思った。上の子の行った高校は伝統と近代的なものが融合して、素晴らしい設備も幾つか具えられていた。
だが、下の子の高校は、県からの補助金やPTA会費からの補助で最低限必要な設備を整えるのにも四苦八苦しているようだ。全部で30校ほどの公立高校があるが、ランク的には上から5、6番目ぐらいである。

やはり、トップ校はトップ校という一つのブランドになっているのだろうか、社会的にも活躍している人間を数多く輩出してきていることや、そういったOBからの補助もあるだろうし、PTA会長もその高校出身者が代々就任してきている。そういったことが設備にも大きな影響を与えているのが現実か。

格差社会は教育現場へも否応なしに反映されている。そのことは否めないようだ。

だが、設備が多少劣っていたとしても、子ども達はそれはそれなりに逞しくなれるのだろう。綺麗な花であるよりも、雑草の様な逞しさが人間には必要なこと。
まあ、下の子の通う学校は周りの環境も良さそうなので、親としては安心している。有意義な高校生活を送って欲しいと願っている。
ただ、はみ出した事だけはやるなよ〜とハラハラ。本人曰く「生徒会の役をやって、この高校をもっと元気で明るく自由な高校に変えるんだ」などと言っているのだ。でも、あなたのいう自由は、おそらく・・・・、否、絶対に自由すぎる自由・・・・・。
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2008年01月22日

4年目の新生児

今朝、榊の水を替えていたら、なんと、4年目に突入した榊の新芽が膨らみ始めているではあ〜りませんか。

実は、そろそろ駄目かなと思っていたのです。小さな芽が出ているものの、そのまま化石になってしまうのかなと。

しかし、しかし、新芽はその生命力を見せ始めたのです。他の葉も枝も、新芽を支えているのに感動しました。

あ、もちろん、今日の祝詞奏上は、かなり弾んでしまいました。(笑)

写真をクリックして拡大して御覧下さいませ。


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2008年01月03日

真柱

あらたまの 年の初めに
   ご祝詞を 申し上げます




今回の私の旅程は次のようなものでした。

(一日目)斎宮歴史博物館 → 斎宮の森 → 伊勢神宮外宮にある茜社 → (二日目)伊勢神宮外宮 → 伊勢神宮内宮 → 伊雑宮 → 香良洲神社 → 大神神社



斎宮歴史博物館では、いろいろなことを知りました。
斎王のいる時代の天皇や貴族は、正月元旦に山海の食べ物に箸を付ける「歯固」という儀式を行っており、斎宮でも行われていました。これは、おせち料理の原型だとのことです。

不思議なものです。私は、市販のおせち料理は高いだけで美味しくないので、決して頼む事はないだろうなと思っていたのです。
しかし、今年はなぜだか自分でもわかりません、料亭のおせち料理を頼みました。初めてのことです。

また、映像展示室では、「斎王群行」、「斎宮を歩く」、「今よみがえる幻の宮」の3本の映像を交互に上映しており、この日は「斎王群行」を上映していました。

斎王は、天皇の皇女の中から占いで選ばれるのです。そして選ばれると、まず自室で世間から切り離された生活を送ることになります。
次に、日を選んで平安宮の中に用意された一室に移り、翌年の秋には京外の「野宮」という仮説の宮殿に移って一年を過ごすのです。
こうした「お籠もり」は斎王の清浄性を高めるものだったとのこと。

そして、いよいよ翌年の秋、伊勢神宮で9月15日〜17日に行われる「神嘗祭」に合わせて、斎王は旅立つのです。

旅立つ最後の日、天皇と対面して「別れのお櫛」といわれる儀式を行います。
天皇は「都の方におもむきたもうな」と声をかけ、斎王の髪に櫛をさします。そして、斎王は後ろを振り向くことも許されずに、そのまま
旅立つのです。もしかしたら、これが天皇との永遠の別れとなるかも知れないのに。

斎王が任を解かれて都へ帰るのは、天皇が譲位したり、亡くなったり、斎王の肉親に不幸があったときだけに限られていました。

斎王の中には、わずか八歳で斎王に選ばれた方もいました。孤独という宿命。しかし、天皇の名代という重責。決して、逃げる事は出来ません。ひたすら、真摯に神事を行い、祈ること。

斎王が暮らしていた斎宮は幻の宮と呼ばれていたのですが、近年、その全貌が姿を現しはじめています。とても広大なものであったそうです。

斎宮の森の写真をUPします。

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大来皇女の歌が書かれた石碑と、井戸跡

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斎宮のあったときからの道路跡

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また、左近の桜の成立には、斎王が関わっていたのですね。重明親王の娘である徽子(よしこ)女王。




さて、次は茜社。稲荷神社です。外宮外苑にある勾玉池のところにあります。なんと、オーブがまた写っています。かつて、京都の伏見稲荷で取った写真にも同じようなオーブが写っていましたが。稲荷の特徴なのでしょうか。
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この後、勾玉池周辺を散策しました。すると、どこからか、「あっはっはっは、あっはっはっは」という大きな大きな声が聞こえてきたのです。思わず、天狗の声?などと思ってしまいました。だって、人間の声ではなかったのですもの。
薄暗い湖面を目を凝らして見てみました、すると、沢山の鴨がいるじゃありませんか。しかも、水上を飛んだり、鴨同士でくるくる回ってじゃれあったり。なんと、賑やかなことでしょうか。
昼間が人間主体の世界、そして、夜は鴨たちの世界。そんな感じでした。
また、夜の闇が降りてくればくるほど、鴨たちの笑う声があちらからもこちからも聞こえてきたのです。不思議な楽しくなる空間でした。
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翌日は、朝6時前のまだ暗いうちに参拝に出かけました。最初に外宮に行きました。しかし、夜明け前でしたので、御垣内に入っての参拝は出来ませんでしたが、外宮の中から見上げる月の輝きは美しかったです。

帰るとき、なぜか、守衛さんに呼び止められて「お車でお越しですか?」と聞かれました。正月三が日の伊勢神宮への参拝は、近くに宿を取って、タクシーかバスで移動するのがお薦めですよ。



次に内宮へと行きました。ここでは日が昇りましたので、御垣内へ入っての参拝が出来ました。
やはり御垣内だと、世界や日本のことのみしか祈る気持ちにはなれないものですね。

内宮の参道にいた鶏です

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伊勢神宮内宮

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風日祈宮へ繋がる橋の下を流れている五十鈴川の写真です。内宮に入る時、最初にある大きな橋の下を流れている川は、本来の五十鈴川ではないとのこと。そこは、三つの川が合流しているからだそうです。
この風日祈宮のところに流れている川が、本来の五十鈴川。
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お次は、伊雑宮。駐車場に山鳩がいたので、パチリ!
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伊雑宮

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そして、香良洲神社。午前中は晴れていたのですが、お昼ごろには再び雪を降らしそうな雲が空全体を覆っていました。
でも、ここへ着いたら、あら、不思議。太陽が顔を出しました。
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香良洲神社では、御神前に沢山の鏡餅がお供えされていました。なんか、あたたかな感じ。
本殿の手前に小香良洲神社というお社もありました。御祭神名は書いてなかったので分からないのですが、このお社の前に立った時には、さらに日の光が強く射して来て、はっきり出来た自分の影に思わず驚きました。



最後は大神神社。こちらも灰色の雲に覆われていました。しかし、近くまで来た時、三輪山だけに太陽の光が投げかけられているという姿になったのです。

大神神社へ来た時には、私の気分は低下していました。思わず、自分の感情を御神霊にぶつけてしまいました。
でも、やさしく包み込むように、軽やかな風が頬を撫でていきました。

とても、厳しい年になるかも知れません。伊勢神宮内宮の御垣内の中だけと自分だけという状態。伊勢神宮といえども、御垣内から一歩外へ出れば茨のようなとでもいいましょうか、そんな感じがしました。

そして、頼りにしている夢が、昨年の暮れから、見ても内容を覚えられないという状況へと追いやられています。

また、茜社というところへ始めて行きましたが、香良洲神社でも、「茜」という言葉に出会いました。茜と言えば、茜大神。最後の御出まし。



大神神社で引いた御神籤の中に書かれてあった歌。

   うまないた
     たたくな
       ゆきそ
   けたぐりて
     みても
       わがゆく
   しがに
     あらなく
posted by ミューシャ at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2007年12月30日

四代に亘る榊

さてさて、やってまりました。榊のバトンタッチ。



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2008年度の仕事をしてくれる榊です。これから、よろしくね。やはり、初々しいですね。若武者というところでしょうか。




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今年、2007年度を元旦から守り続けてくれた榊です。一年間、ご苦労様でした。




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2006年度の元旦から、今まで守り続けてくれた榊。二枚の可愛らしい葉が、ほんの少し、微妙に成長しています。




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そして、2005年度の元旦から、なんと3年間も神棚の聖域をお守りしてくれた榊です。とうとう、4年目に突入です。

2005年度と2006年度の榊はかなり少なくなりましたが、それでも生き続けている枝があるのです。普通に水道水で毎日水を替えているだけなのですが。

ただ、今年は、ちょっとだけ危機に見舞われました。海外赴任をしていた夫が帰国したのですが、長く留守をしていると居場所が無くなるのですね。それで、仕方がないので、神棚のある座敷に就寝してもらうことにしたのです。
そうしたら、しばらくの間、毎日毎日、一枚、また一枚と葉が枯れ落ちて行ったのです。もう、駄目かと思いました。
でも、そのうち、榊も受け入れてくれたのでしょう。枯れることが止みました。
我が家の榊は、枯れるということは、あまりないことなのです。葉が落ちるときは、枯れずに青々としたまま、ぽろっと落ちるのです。まるで、椿の花のように。




さあ、最後に、みんなで、ハイ、ポーズ!


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posted by ミューシャ at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2007年12月29日

張り巡らされた宇宙歌

ここのところ、やることが沢山あって、本当に猫の手でも借りたいぐらいである。毎年思うのだが、師走とはよく言ったものだなと。

今日は、上の子が面白い情報をもたらしてくれた。

子「日月神示って、知っている?」

私「岡本天明の日月神示でしょ。王仁三郎とも深い関わりのある書よ。」

子「本屋で立ち読みしてきたのだけれど、王仁三郎が育てたラビ・バトラという経済学者のプラウトという理論と、その日月神示が非常に似通っているというという観点から書かれた本があったのだけれど、かなり面白かったよ。ナチス・ドイツのことも書かれてあったし、なかなかのもの。時間が経つのも忘れていた。」

子どもが日月神示のことなど知っている訳がないので、その口から日月神示のことが出たことに少し驚いたが、本の内容を聞いていると、私も読みたくなってしまった。

それにしても面白いものである。子どもは霊魂のことにあまり興味はないが、いろいろな方面から出口王仁三郎に繋がっていく。王仁三郎という人間は、どこまで糸を張り巡らせていたのだろうか。
ふと、ジャックと豆の木の話を思い出した。天まで届く豆の木。

昨日、霊界物語第七十二巻を読み終えた。余白歌の最後の三首。一見、同じテーマ。でも、奥深いと思った。
posted by ミューシャ at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする