2008年06月07日

熊山遺跡

朝4時に起床。そして、4時45分頃、家族を起こさないようにそっと家を出た。
熊山駅には9時に着く予定だったのだが、乗り換えのミスで遅れること1時間15分。着いたのは10時15分頃だった。既に家を出て5時間半。
でも、ここでへこたれてはいられない! いざ、登りましょうっと。


登山口

熊山登山口

もう、わくわく気分。そういえば、中学・高校生の時にはよく自転車で山の道なき道を行き、自転車を担いで川を渡ったりしていたな。やさしい自然に抱かれて。



無邪気

五合目を過ぎた頃からだろうか、無邪気な空間が展開されていた。そう、私には、そのように感じられたのである。何か、とても愉快で楽しくなった。




かえる石

“かえる石”というのがあった。思わず笑みがこぼれた。




険しい道

頂上が近づくにつれて道も険しくなってきた。一昨日まで雨が降り続いていたせいだろうか、道も少しぬかるんで、石の上も滑りやすくなっていた。




開けた視界

急に視界が開けた。なんか、高天原みたい。




赤い土

この山は赤い土で出来ているようだ。写真よりも実際はもっと鮮やかな色だった。ふと、エアーズロックへ行った時のことを思い出した。アボリジニ人の生活を。




竜神二つ井戸

竜神二つ井戸

二つ仲良く並んであるからなのだろうか、雄竜と雌竜ということらしい。




熊山池

熊山池

緑色の水を湛えていた。熊山遺跡まで、もう少しだ。




熊山神社

熊山神社

大国主が御祭神である。




頂上

やわらかくどっしりとして、そしてエネルギーに満ちている空間が迫ってきた。そう、迫ってきたという表現がぴったりだったのだ。




熊山遺跡

熊山遺跡

先ほどのエネルギーに満ちた空間を抜けると、今度は、あまりにもクリスタルな熊山遺跡。オレンジ色の蝶が舞っていた。




説明

熊山遺跡の説明




好きな角度
遺跡の周りをぐるりと回って好きな角度の写真をUP。正面に向かって右側面のやや後方から写したもの。




猿田彦神社

猿田彦神社

熊山遺跡のすぐ近くにある。




展望

展望台から見た景色




今日は晴れという予報だったが、薄っすらとした陽射しだったのでそれほど暑くなくて助かった。
でも、久々の登山。もう、汗びっしょり。でも、所々の木陰では風が、がんばれ〜、がんばれ〜と言わんばかりに涼やかに吹いてくれた。
また、面白い音が聞こえてきた。動物の鳴き声だと思うのだが、初めて聞く音。姿が見たかったな。
そして、小さな小さなオフフォワイトの蝶が、常に足許を楽しげに舞っていた。

やさしい自然。命溢れる地球。美しい青い星。
人間は美しくも汚くもなれる。それは自分が選んだ結果なのだ。人それぞれの人間の意志。
posted by ミューシャ at 22:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年05月25日

最初の一歩

あいにくの天気。雨、雨、雨。雨が好きなのだーれ?龍神様?

そうね、最近、ちょっと大変な心境。だからこそ活動的に行かなければ。独立独歩。意外と昔から好きな言葉。

雨に誘われて出かけた先は長弓寺。先代旧事本紀に記されている内容に誘われた。


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本堂。萱葺きの屋根が美しい。そして、雨が似合った。




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本堂の右手前にあった鐘楼。自由に撞けたので、もちろん、ご〜うぉ〜ん、ごうぉ〜ん。とてもよく反響する鐘の音。饒速日に思いを馳せて撞いた。




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善女龍王の祠。室生寺の近くにあった竜穴神社に祀られてあった善女龍王と同じ空間を感じた。まあ、同じ善女龍王なので同じと言えば同じであって当たり前ですね。(笑)




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長弓寺境内にある伊弉諾神社。


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そこの由緒書き。御祭神に、な〜るほど。




生駒市デジタルミュージアム。
      ↓
http://www.city.ikoma.lg.jp/dm/index.php




【番外編】

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友人の見ている方向には、なんと、またまたオーブが。彼女を写した写真には他にも上に昇って行くような四つの白い柱というのか帯というのかそういう感じの尾をつけた透明感のある水色のオーブや、本堂の中央に真っ直ぐ立ち昇る白光色の太い柱などが一緒に写されていた。
だが、UPしてもよいという承諾を得られたのは、この一枚だけであった。

十一面観音。なんか、好きになりそう。やっと、親近感を覚えてきた今日この頃である。心の誠、尽くしたい。
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2008年05月02日

霊界物語完読

今日の夕刻6時13分頃、霊界物語全巻を音読し終えた。その後、7時のニュースで、ダライラマの特使と中国政府とが話し合いを行うことになったということについて流れていた。
また、オリンピックの聖火リレーが中国の最初の地、香港で行われた日でもあった。

この書を手にしてからどのぐらいだろうか、4、5年ぐらいだろうか。なかなか本気で最後まで読もうという気になれなかったのだが、ある時、覚悟を決めた。最後まで音読しようと。
それからは長かったような短かったような、どちらともつかない感じがする。

また、最後の音読の巻であった入蒙記。これを読んでいる時、夢を見るのだが内容を憶えていない、しかし、登場人物の名や地名は夢の中で復唱されていたのだ。
まるで、大海原の中、海中を漂っているような感覚を目覚めの時に感じていた。

そしてまた、入蒙記の中では、出口王仁三郎自身が見た夢とそれについての解釈も述べられていたが、私自身、ひつじさんという方に出会えて、そして解釈をして頂いているということに神の恩恵を深く感じたものである。

それからひつじさんには、霊界物語を読む上で、時々さりげないフォローや気付きへの導きの示唆を頂いて、本当に心から感謝しています。

おそらく、一人だけだったなら最後まで完読出来たかどうかは分からない。間違った受け取り方や自分の中の傲慢性に火がついたら、それこそ物語を読まない方が良かったということにでもなっていただろう。
これに関しても、私のようなど素人に気長に付き合って下さった方がいたということは、やはり神の恩恵に感謝せざるを得ないのである。

また、面白いことに、霊界物語を読み進めていく上でいくつものシンクロが起きたこと。そして、そのシンクロによってより深く入り込むことも出来た。

そして、音読するということが ―――真摯に無心に音読し、その物語の中に入り込むことによって――― 何か歯車が動き出すのを感じた。

出口王仁三郎が、霊界物語を不屈の精神を持って最後まで読むようにと言っていたとのことであるが、たぶん、それは「動く」のだ。そう、感じた。

また、入蒙余禄では、開祖の次男とその娘蘿龍のことについて書かれてあったが、貫かれた血統というものを心が痛いほどに感じた。
そしてまた、私の夢の中を復唱されていた人物、白凌閣。その二人の信念と勇猛心に心が洗われ、そして奮い立たされるようでもあった。

この八十一巻八十三冊という膨大な書。長く、そして話しが前後していたりするので一度だけでは把握しきれない。
また、いつかもう一度読みたいと思う。
posted by ミューシャ at 23:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年04月29日

心を開け放つということ

下の子は私の血を受け継いだのか、ギターをやりたくて、エレキギターにしようか、アコースティックギターにしようかと悩んでいた。

私も高校へ入ってすぐにエレキを買った。そして、独学。その経験から、アコギの方を勧めていたのだが、やっぱりエレキを購入してしまった。

さてさて買ったはいいものの、チューニングの仕方から梃子摺っている。挙句の果てに購入3日目で弦を切る。馬鹿者〜!

買ってきたばかりの時、「どんなのを買ってきたの?見せて。」という私の言葉に、「勝手に触らないで、汚れる。いいから、あっちへ行って。」と、なんとまあ、ぞんざいなものの言い方。

が、その言葉を既に忘れてしまったかのように頼ってくる。分からなくなると「プロに聞かなくては」と聞こえよがしに喚いている。それで、仕方がないわねと行くと、「あれ、お母さん、プロだっけ?自分はプロって言ったんだけど。」と。だから、「あ、そ。」と自分の仕事へ戻ろうとすると「いいから教えて。」と。本当にゲンキンすぎる・・・・。

かと言って、私も上手くはないし、ましてや結婚してからというもの遠ざかっていたこと。
過去の記憶を思い出しながら初歩的なことを教える。

また、今日は一緒にエレキを買った子が家に来て練習。違う高校へ進学した子だが、家が近いので気軽に行き来できる。
母子家庭の子だが、最初に家に遊びに来たのは2年ほど前だっただろうか。おやつを出したとき、かなり遠慮をしてなかなか食べようとしなかった。

この町の母子家庭の子の傾向は、他人から何かしてもらうことを拒絶する。拒絶するというより、親にそのように強く言われているような感じだ。
だから、母子家庭の親も他人が何か親切なことや手助けをしてあげようとすることを跳ね除けようとする。

なぜなら、この町では片親の子と遊ぶなと言う親が多いからだ。最初、夫婦揃っている親達からそのことを聞いたときには大変驚いた。なぜ、そのようなことを言うのか私には理解できない。ただ、偏見と差別意識、そしてくだらない優越意識を持つ土地柄のようだということは分かる。

だが、私の子ども達は二人とも、そのような偏見で友人を選ばない。どんな家庭環境の子とでも気が合えば付き合ってきている。

だから、母子家庭の親でも、最初の頑なまでに拒否していた態度が次第に変わって行くのを何度も経験してきている。
私もまた、相手が大変だと分かっていても、向こうから申し出てきてくれることには適度に甘えてお願いしたりもしてきた。ギブ・アンド・テイク。そういう関係がお互い気が楽なことだからだ。子を思う親の心。

それで、話は戻るが、その下の子の友人。今では、明るく「ありがとうございまーす。いただきまーす。わー、嬉しい。」とすぐに素直に受け入れてくれるようになった。

今日は学校が終ってから来ることが分かっていたのだが、ちょうど夕食時でお腹も空いている時間。その子の夕食事情も私は知っている。かといって、これは適度にしなければならないこと。相手が負担に思わない程度に。

だから、大き目の肉じゃが風味のコロッケを作ってわが子とその子とに一個ずつ、「出来立てのあつあつのコロッケだから熱いうちに食べてね。」とさりげなく出す。

「とても、美味しかったです。ありがとうございました。」と、その子はいつも明るく礼儀正しく帰って行く。

何事もさりげなく、ということが大切。その子も、わが子のようにかわいいのだから。

こちらが心を開け放てば、向こうもそれに答えてくれる。
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2008年03月28日

母親たるもの

昨日寝たのが1時。今日、起きたのが5時半。睡眠時間が4時間半。家族が早く出かけるなら、それにあわせて食事を作ってあげなければならない。それが主婦の役割。家族の健康を守るのが母親の仕事。

母親たるもの、自分に甘えてはならない。
母親たるもの、自己犠牲は愛の証でなければならないし、それは当然のこと。
母親たるもの、家族のメンタル面をサポートするのは当然のこと。
母親たるもの、いつも希望に燃えていなければならない。
母親たるもの、常に無邪気でなければならない。
母親たるもの、自己利益を超越した他人への奉仕を実践するもの。
母親たるもの、常に調節の役割をしなければならない。
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価値ある霊学

来る日も来る日も大掃除。また、いつ何時どんな運命が訪れるか分からないゆえ、出来る時に出来ることをするだけ。

さすがに一昨日は体がオーバーヒートしてしまった。人間の体って華奢なんだなと。
肩が凝るのを通り越すと、鈍痛のような裂傷のようななんともいえない痛みが起こるということを知った。そして、37度4分ほどの熱がずっと続き、寒気と暑さが交互にやってくる。それから、とにかく体がだるいし、食べ物を受け付けなくなる。内臓機能が急速に衰えるんだなと。

だが、ペースダウンをすればいいものを、昨日からまたフル回転。どうも、性格的なものはどうしようもない。再びダウンした時はそれはそれで仕方がない。

まあ、今回は徹底的に片づけをしているので、思わぬところから完全に忘れ去っていたものが出てきたりしている。

ああ、そうそう、今朝は自分の部屋の窓際で片づけをしていたら、小鳥が開けてある窓の桟のところまで遊びに来た。人懐こい小鳥。可愛い声で囀っているので、私もしばし一緒にお話しを。
朝日と小鳥。素適な光景。
野生の小動物が警戒心を持たずに寄ってきてくれるときだけ、私は自分に少しだけ自信を持つことが出来る。

それで、その忘れ去っていたものの中には、かつての宗教遍歴をしたときの、ある団体の書籍やらカセット、CD、メモを取ったノートなどが残っていた。
「他見を許さず」とか「極秘」とか、そんなものが何点も・・・・。

もちろん、今回は全部処分した。

自分の歩んできた過程に後悔はしていないし、また自分にはその経験は必要なことだったと思っている。
しかし、物はいらない。ましてや、中心軸をどんどんぶれさせて行き、そして悪の手中に落ちた人間のものなど一切残す必要はない。例え中には良いことが書かれてあったとしても、その人間の向かった先が悪であるなら全てがNGなのだ。
そして、悪に向かうには、最初の動機・意志にすでに歪みがあったからだ。悪の入り込む隙があったから。純化されていない動機・意志。

そして、それらは今の私には必要ないもの。初めが悪のように見えていても最後は善なら、その人間の語ってきたことや思考過程には意味がある。
だから、善で終った人間の語った霊学にのみ価値がある。

かくいう私も先は分からない。霊学を志そうと思ったその動機・意志が本当に純化されていないなら、私の最後は悪で終るだろう。反対に純化されていたものだったなら善で終るはず。まさに賭けの様。

どんどんスリム化して行きたい。不必要なものはいらない。
posted by ミューシャ at 00:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2008年03月21日

新生活

子どもは希望していた高校に合格した。その後の合格者説明会及び制服や書籍等の購入やらで、何かとばたばたと忙しい日々。やっと一息つけたという気の緩みか、親の私はどっと疲れが。しかし、子どもは新たな希望に燃えている。

また、子どもの携帯には試験日終了からメールの嵐のようだ。ひっきりなしの着信音。それと共にいろいろな悲喜劇を知る。

別の高校を受験した子が不合格だったので、慰め会をして欲しいという本人からの申し出メール。
中学受験でそのままエスカレーター式に高校へ進学できるはずなのに、どういう事情なのかまだ行く高校が決まっていないという悩みメール。
また、塾の祝賀会で友人達のそれぞれのもくろみを事前に聞かされて楽しんでいたりもする。
もちろん、一緒に遊ぼうメールの数々に、入学式後にみんなで集まって、それぞれの高校の制服を着てみようなどという予定まで組んでいる。
いったい、あの子の交友関係はどこまで広いのか見当もつかない。問題はお小遣い。親は決して金のなる木ではない。自分の小遣いの中で交友を考えなさいよと。

だが、確かにあの子は頑張ったと思う。
夏休み前までは内申なんか関係ないと、人の言うことも聞かずに好き勝手なことばかりしていたが、いよいよ受験が目前に迫ってきて、しかも、今の成績では希望している高校には行けないと塾長から言われたショック。おそらく、目の前が真っ暗になったのではないだろうか。

また、姉がガリ勉というわけではなかったのに勉強が出来てトップ校へとすんなりと進んでいる状況を見ていて、自分もそれほど勉強しなくても行けるものだと思っていたというのだからめでたい人間と言わざるを得ないのだが。

でも、姉はやることはやっていた。ただ、それだけだが、そのやることをやっていなかったのが妹。だから、取り敢えず、通告を受けてからの持続力は褒めてあげたいと思う。

結局、最終的には偏差値を15近く上げることが出来た。塾長からは、内申点さえ稼いでおけば、今の実力だったらもっと上の高校に行けたのに残念だねと言われたとか。
でも、もともと彼女の場合、最初から行きたい高校は決まっていた。だから、それで良かったのだと思う。

また、それぞれの都道府県にもよるのだろうが、同じ公立でも設備投資が違うなと思った。上の子の行った高校は伝統と近代的なものが融合して、素晴らしい設備も幾つか具えられていた。
だが、下の子の高校は、県からの補助金やPTA会費からの補助で最低限必要な設備を整えるのにも四苦八苦しているようだ。全部で30校ほどの公立高校があるが、ランク的には上から5、6番目ぐらいである。

やはり、トップ校はトップ校という一つのブランドになっているのだろうか、社会的にも活躍している人間を数多く輩出してきていることや、そういったOBからの補助もあるだろうし、PTA会長もその高校出身者が代々就任してきている。そういったことが設備にも大きな影響を与えているのが現実か。

格差社会は教育現場へも否応なしに反映されている。そのことは否めないようだ。

だが、設備が多少劣っていたとしても、子ども達はそれはそれなりに逞しくなれるのだろう。綺麗な花であるよりも、雑草の様な逞しさが人間には必要なこと。
まあ、下の子の通う学校は周りの環境も良さそうなので、親としては安心している。有意義な高校生活を送って欲しいと願っている。
ただ、はみ出した事だけはやるなよ〜とハラハラ。本人曰く「生徒会の役をやって、この高校をもっと元気で明るく自由な高校に変えるんだ」などと言っているのだ。でも、あなたのいう自由は、おそらく・・・・、否、絶対に自由すぎる自由・・・・・。
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2008年01月22日

4年目の新生児

今朝、榊の水を替えていたら、なんと、4年目に突入した榊の新芽が膨らみ始めているではあ〜りませんか。

実は、そろそろ駄目かなと思っていたのです。小さな芽が出ているものの、そのまま化石になってしまうのかなと。

しかし、しかし、新芽はその生命力を見せ始めたのです。他の葉も枝も、新芽を支えているのに感動しました。

あ、もちろん、今日の祝詞奏上は、かなり弾んでしまいました。(笑)

写真をクリックして拡大して御覧下さいませ。


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2008年01月03日

真柱

あらたまの 年の初めに
   ご祝詞を 申し上げます




今回の私の旅程は次のようなものでした。

(一日目)斎宮歴史博物館 → 斎宮の森 → 伊勢神宮外宮にある茜社 → (二日目)伊勢神宮外宮 → 伊勢神宮内宮 → 伊雑宮 → 香良洲神社 → 大神神社



斎宮歴史博物館では、いろいろなことを知りました。
斎王のいる時代の天皇や貴族は、正月元旦に山海の食べ物に箸を付ける「歯固」という儀式を行っており、斎宮でも行われていました。これは、おせち料理の原型だとのことです。

不思議なものです。私は、市販のおせち料理は高いだけで美味しくないので、決して頼む事はないだろうなと思っていたのです。
しかし、今年はなぜだか自分でもわかりません、料亭のおせち料理を頼みました。初めてのことです。

また、映像展示室では、「斎王群行」、「斎宮を歩く」、「今よみがえる幻の宮」の3本の映像を交互に上映しており、この日は「斎王群行」を上映していました。

斎王は、天皇の皇女の中から占いで選ばれるのです。そして選ばれると、まず自室で世間から切り離された生活を送ることになります。
次に、日を選んで平安宮の中に用意された一室に移り、翌年の秋には京外の「野宮」という仮説の宮殿に移って一年を過ごすのです。
こうした「お籠もり」は斎王の清浄性を高めるものだったとのこと。

そして、いよいよ翌年の秋、伊勢神宮で9月15日〜17日に行われる「神嘗祭」に合わせて、斎王は旅立つのです。

旅立つ最後の日、天皇と対面して「別れのお櫛」といわれる儀式を行います。
天皇は「都の方におもむきたもうな」と声をかけ、斎王の髪に櫛をさします。そして、斎王は後ろを振り向くことも許されずに、そのまま
旅立つのです。もしかしたら、これが天皇との永遠の別れとなるかも知れないのに。

斎王が任を解かれて都へ帰るのは、天皇が譲位したり、亡くなったり、斎王の肉親に不幸があったときだけに限られていました。

斎王の中には、わずか八歳で斎王に選ばれた方もいました。孤独という宿命。しかし、天皇の名代という重責。決して、逃げる事は出来ません。ひたすら、真摯に神事を行い、祈ること。

斎王が暮らしていた斎宮は幻の宮と呼ばれていたのですが、近年、その全貌が姿を現しはじめています。とても広大なものであったそうです。

斎宮の森の写真をUPします。

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大来皇女の歌が書かれた石碑と、井戸跡

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斎宮のあったときからの道路跡

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また、左近の桜の成立には、斎王が関わっていたのですね。重明親王の娘である徽子(よしこ)女王。




さて、次は茜社。稲荷神社です。外宮外苑にある勾玉池のところにあります。なんと、オーブがまた写っています。かつて、京都の伏見稲荷で取った写真にも同じようなオーブが写っていましたが。稲荷の特徴なのでしょうか。
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この後、勾玉池周辺を散策しました。すると、どこからか、「あっはっはっは、あっはっはっは」という大きな大きな声が聞こえてきたのです。思わず、天狗の声?などと思ってしまいました。だって、人間の声ではなかったのですもの。
薄暗い湖面を目を凝らして見てみました、すると、沢山の鴨がいるじゃありませんか。しかも、水上を飛んだり、鴨同士でくるくる回ってじゃれあったり。なんと、賑やかなことでしょうか。
昼間が人間主体の世界、そして、夜は鴨たちの世界。そんな感じでした。
また、夜の闇が降りてくればくるほど、鴨たちの笑う声があちらからもこちからも聞こえてきたのです。不思議な楽しくなる空間でした。
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翌日は、朝6時前のまだ暗いうちに参拝に出かけました。最初に外宮に行きました。しかし、夜明け前でしたので、御垣内に入っての参拝は出来ませんでしたが、外宮の中から見上げる月の輝きは美しかったです。

帰るとき、なぜか、守衛さんに呼び止められて「お車でお越しですか?」と聞かれました。正月三が日の伊勢神宮への参拝は、近くに宿を取って、タクシーかバスで移動するのがお薦めですよ。



次に内宮へと行きました。ここでは日が昇りましたので、御垣内へ入っての参拝が出来ました。
やはり御垣内だと、世界や日本のことのみしか祈る気持ちにはなれないものですね。

内宮の参道にいた鶏です

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伊勢神宮内宮

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風日祈宮へ繋がる橋の下を流れている五十鈴川の写真です。内宮に入る時、最初にある大きな橋の下を流れている川は、本来の五十鈴川ではないとのこと。そこは、三つの川が合流しているからだそうです。
この風日祈宮のところに流れている川が、本来の五十鈴川。
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お次は、伊雑宮。駐車場に山鳩がいたので、パチリ!
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伊雑宮

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そして、香良洲神社。午前中は晴れていたのですが、お昼ごろには再び雪を降らしそうな雲が空全体を覆っていました。
でも、ここへ着いたら、あら、不思議。太陽が顔を出しました。
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香良洲神社では、御神前に沢山の鏡餅がお供えされていました。なんか、あたたかな感じ。
本殿の手前に小香良洲神社というお社もありました。御祭神名は書いてなかったので分からないのですが、このお社の前に立った時には、さらに日の光が強く射して来て、はっきり出来た自分の影に思わず驚きました。



最後は大神神社。こちらも灰色の雲に覆われていました。しかし、近くまで来た時、三輪山だけに太陽の光が投げかけられているという姿になったのです。

大神神社へ来た時には、私の気分は低下していました。思わず、自分の感情を御神霊にぶつけてしまいました。
でも、やさしく包み込むように、軽やかな風が頬を撫でていきました。

とても、厳しい年になるかも知れません。伊勢神宮内宮の御垣内の中だけと自分だけという状態。伊勢神宮といえども、御垣内から一歩外へ出れば茨のようなとでもいいましょうか、そんな感じがしました。

そして、頼りにしている夢が、昨年の暮れから、見ても内容を覚えられないという状況へと追いやられています。

また、茜社というところへ始めて行きましたが、香良洲神社でも、「茜」という言葉に出会いました。茜と言えば、茜大神。最後の御出まし。



大神神社で引いた御神籤の中に書かれてあった歌。

   うまないた
     たたくな
       ゆきそ
   けたぐりて
     みても
       わがゆく
   しがに
     あらなく
posted by ミューシャ at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2007年12月30日

四代に亘る榊

さてさて、やってまりました。榊のバトンタッチ。



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2008年度の仕事をしてくれる榊です。これから、よろしくね。やはり、初々しいですね。若武者というところでしょうか。




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今年、2007年度を元旦から守り続けてくれた榊です。一年間、ご苦労様でした。




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2006年度の元旦から、今まで守り続けてくれた榊。二枚の可愛らしい葉が、ほんの少し、微妙に成長しています。




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そして、2005年度の元旦から、なんと3年間も神棚の聖域をお守りしてくれた榊です。とうとう、4年目に突入です。

2005年度と2006年度の榊はかなり少なくなりましたが、それでも生き続けている枝があるのです。普通に水道水で毎日水を替えているだけなのですが。

ただ、今年は、ちょっとだけ危機に見舞われました。海外赴任をしていた夫が帰国したのですが、長く留守をしていると居場所が無くなるのですね。それで、仕方がないので、神棚のある座敷に就寝してもらうことにしたのです。
そうしたら、しばらくの間、毎日毎日、一枚、また一枚と葉が枯れ落ちて行ったのです。もう、駄目かと思いました。
でも、そのうち、榊も受け入れてくれたのでしょう。枯れることが止みました。
我が家の榊は、枯れるということは、あまりないことなのです。葉が落ちるときは、枯れずに青々としたまま、ぽろっと落ちるのです。まるで、椿の花のように。




さあ、最後に、みんなで、ハイ、ポーズ!


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2007年12月29日

張り巡らされた宇宙歌

ここのところ、やることが沢山あって、本当に猫の手でも借りたいぐらいである。毎年思うのだが、師走とはよく言ったものだなと。

今日は、上の子が面白い情報をもたらしてくれた。

子「日月神示って、知っている?」

私「岡本天明の日月神示でしょ。王仁三郎とも深い関わりのある書よ。」

子「本屋で立ち読みしてきたのだけれど、王仁三郎が育てたラビ・バトラという経済学者のプラウトという理論と、その日月神示が非常に似通っているというという観点から書かれた本があったのだけれど、かなり面白かったよ。ナチス・ドイツのことも書かれてあったし、なかなかのもの。時間が経つのも忘れていた。」

子どもが日月神示のことなど知っている訳がないので、その口から日月神示のことが出たことに少し驚いたが、本の内容を聞いていると、私も読みたくなってしまった。

それにしても面白いものである。子どもは霊魂のことにあまり興味はないが、いろいろな方面から出口王仁三郎に繋がっていく。王仁三郎という人間は、どこまで糸を張り巡らせていたのだろうか。
ふと、ジャックと豆の木の話を思い出した。天まで届く豆の木。

昨日、霊界物語第七十二巻を読み終えた。余白歌の最後の三首。一見、同じテーマ。でも、奥深いと思った。
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2007年11月06日

秋色の中で

秋色の世界が、ゆるやかに訪れて来た。
晴れた日には、ちょっと出かけてみるのも楽しい。
様々な顔と出会う。


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2007年11月05日

風火家人

『風火家人』という卦が出た。
なるほど、と思う私であった。家内安全、火の用心。ではないが、自分の霊性を大切にするにこしたことはない。

今月も忙しい月。次から次へと新たな展開がもたらされ、現実にやらなけれなならない仕事は山のよう。

収入なしのボランティア的仕事。現実は、自腹で出ている金額も発生。政府では一円から領収書を、なんていうことを提案している党もあるが、実際問題としてそれは不可能。

ま、その分、クジが当たったり、抽選であたったりと、なんか他からの補充があるので、神様も、ほんと、よくしたもんね。
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2007年10月26日

彗星

すっかり忘れていたが、昨日のニュースで彗星のことが流れていた。
なんと、今、いつもの40万倍の明るさになっているとのこと。だから、肉眼でもはっきり見えるそうだ。
天文関係の人の話では、このようなことは始めてのことではないか、そして、もしあるとすれば、あと一回あるかないかとのこと。

果たして、この彗星の意味するところとは?
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2007年10月08日

何ゆえ?

秋季特別展
 「金の輝き、ガラスの煌めき−藤ノ木古墳の全貌−」

先ほど検索していたら、10月6日〜11月25日まで、橿原考古学研究所付属博物館において、藤ノ木古墳からの出土品が一堂に会する展示会が行われているとのこと。

タイミングがよすぎる。この目で実物を見たいと思っていたから。
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2007年09月22日

王仁博士

眠い目をこすりながら、大阪枚方市にある王仁墓及び彼の出生地をネットで見ていた。すると、突然、地震が。震源地を見ると、なんと大阪府北部。枚方は震度1。

私の居るところも揺れたのだが、なぜか揺れの観測情報は無し。ただ、地震とかでびくっとすることはないのだが、なぜか、今回は少し心臓が踊った。不思議なものである。

それにしても、最近はいろいろなシンクロがある。
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2007年09月15日

変貌する町〜続編

町の中は変化してきたのかも知れない。だが、それでも、それはある平均的な層の人たちに当てはまることなのではないだろうか。

弱い立場にある人たちの叫びが無視されている。私の目にはそう映るし、また、彼ら彼女らの叫びや諦めの声も耳に入ってくる。

平均的な層の人たちにとって良くなってきたなら、余裕が生まれるはずだ。だからこそ、それに満足しているのではなく、弱い立場にある人々にスポットを当てて改善していかなくてはならない。

叫びに耳を傾けなかればならない。諦めの心境にさせてはならない。常に、希望がなければならないのだ。

目を瞑らずに、影の部分に光を当てて行くことこそ、全体の繁栄にと繋がるのである。
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2007年09月13日

変貌する町

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今日、ある町会議員と話した。その話の中で、この町がかなり変わってきたという話を聞いた。
以前は、嫌気がさしてここから出て行く人が多かったが、今はその反対だという。特別問題もなく、学校も平和だということで、人気が出てきているとのことだった。

それは、教師達も同じらしい。保護者との摩擦もなくやり易いから、この町の学校で勤めたがっている人が多いとのこと。

私がここへ来た時は酷い町だった。出て行きたがる人をよく見かけた。
戦って、疲れ果てて、その後は極力関わらないようにしてきたが、その間に大きく変化していたのだ。

180度の変貌を見せた町。そして今、私はここである種の長という立場に立たされた。周りの人が驚くような思い付きを意図も簡単に打診する。しかし、その全てが今のところ上手く運んでいるのだ。私に、私利私欲はない。ただ、良いと思うことを実行するだけなのだ。
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2007年09月09日

小さな魂〜伝書

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昨日の空。雷鳴が轟き、少なくとも私の周りには雨が降っていた。しかし西の空では、雲の合間から薄っすらと太陽光線が地上に降り注がれていた。



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今日の午前のことだった。ベランダに出ようと戸を開けると、窓に止まっていたのだろうか、小さな白っぽい蝶が舞っていた。その蝶はそのまま何処かへ遊びに出かけた。

その数分後、今度はこの写真の蝶がベランダに訪れていた。最初、写真を撮ろうとすぐ側まで寄った時、驚いたのだろうか、数秒ほど羽を広げて飛び立とうかと考えたようだった。
しかし、すぐに羽を閉じてそのままくつろぎ続けた。

暫らくしてから、まだいるだろうかとその蝶を見ると、外を向いていたのが、いつの間にか家の中を覗きこむかのようにこちらを向いている。何かを伝えたいのかしら?



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そうしたら、こんどは蝉がやって来た。側によって、パチリ。数分後、この蝉は小さな体だというのに、大きな声で鳴き始めた。夏の終わり。最後の蝉の言霊?



その後、買物に出かける時に、まだ居るだろうかとベランダを見ると、二匹とも、もうその姿はなかった。

だが、買物先では、体調10センチほどの緑色のスマートなトカゲとこんにちは。今日は、なぜか小さな生き物達によく出会った日。

そして、今、窓の近くで小鳥が可愛らしい声で囀っている。
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2007年09月03日

アクシデント

実に面白い。また、予期せぬアクシデント発生。よくもまあ、次から次へと起こるものである。

そういえば独身時代、「ナザレのイエス」呼ばれていた時期があったな。なんと、懐かしい思い出だろうか。

今は? なんと呼ばれるのだろうか?

だが、弱い立場、苦しい立場にある人たちにやさしくなければならない。そういう立場にある人こそを輝かさなければならない。それが、私の心情。
ごちゃごちゃと見苦しい欲を現す雑魚連中には関わっていられないし、まともに向き合わなくてもいい。
ただ、必死に生きる美しい人たちを輝かせたい。

さーて、このアクシデント、どう乗り切る? まあ、今までいろいろなことをクリアしてきた自信があるから、なーんてことはない。ただ、正しく突き進むだけ。

予期せぬアクシデントとは、意外とスリルがあって楽しいものである。
posted by ミューシャ at 23:09| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする